「エシカル農業」したいなら、肉と野菜の値段、上げません?

2022年5月9日(月)

 フーディンだよ。

 

 インフレの心配が出てきたんだな~。ロシアによるウクライナ侵攻、円安、そして、ドルの利上げ。すでに小麦などの値上がりが始まっているけど、そのうち肉や野菜も値上がりするんだろうね。農家の「持続可能性」が心配なんだな~

 

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 肉用豚1頭の出荷で得られる農家の手取り平均額って知ってる?約8000円なんだって。びっくりだよね~。半年もの間、エサをやって、病気にならないよう世話をしての収入がこれだけって感じがしない?儲けを出そうとしたら数を増やして育てなくちゃならないよ。アニマルウェルフェア(動物福祉;AW)という考え方があるけれども、アニマルウェルフェアが推奨する放牧なんかやってたら儲からないよ。事実、先進国ではそのおかげで肉の価格が上がったんだな~。(山本謙治「エシカルフード」角川新書)

 こうした動物福祉や環境問題、労働への配慮がなされている食べ物を「エシカルフード」と言うんだ。今後、エシカルフードを追求する流れは避けられないだろうね。一方で、農業は基本的に環境に負荷を与えるものだからつらいね。特に畜産は、農業分野における温室効果ガス(GHG)排出量の約3割を占めているから目の敵にされるんだ。社会への負荷が大きい割に、肉の価格は安く、人々は食べ過ぎてるってことなんだな~。ドイツなど一部の国では、肉税の導入を検討しているみたいだよ。(下川哲「食べる経済」大和書房)

 

 野菜も大変だよ。価格は雰囲気で決まっているようなもので割に合っていないんだ。加えて、燃料、箱代、運賃、包装用ビニール袋代といった農業資材は年々高騰しているし、日本人は見た目を重視するから栽培や選定の手間暇も半端ないよ。農家の苦労が価格にちゃんと反映されていないんだな~。遺伝子組換え技術を使えば手間暇を省けるって言う人もいるけど、これはこれで肥料や農薬をたっぷり使わねばならなくなるみたいだよ。

 そうやってまでして出荷商品として選ばれなかった農作物が廃棄されると、「食品ロス」にはならないけれど、立派な「フードロス」だね。決して「エシカル」とは言えないよ。日本では「食品ロス」の量は徐々に減少しているけど、これからは「フードロス」にも目を向けるよう消費者のマインドを変えていく必要があるね

 

 振り返ってみると、これまでの日本の農業政策は、平等にかつ広く農作物を提供することに主眼が置かれてきたんだ。戦後の食糧危機を克服するため、農薬と化学肥料で生産性をアップ、農業技術を「農業改良普及制度」で一般化し、農地改革で解放された零細農家の救済のため、お互いを助け合う農業協同組合体制が整えられていったんだ。こうして、品質のよい農作物が広範囲に安く手に入るようになったんだ。

 でも、弊害も生じたよ。農家間の競争はご法度になったから、農業技術の「飛躍的な向上」には結び付かなかった。そもそも日本は耕作地が少ないから、主要な食料輸出国との間にはちょっとやそっとの努力で埋められないほどの差があるし、中国のような大規模農業国が相手だと、技術が拮抗しているくらいでは勝負にならないな~。

 いずれにしても、安定供給が当たり前になって、消費者の関心は、味や見た目に移っていったんだ。そして、農業の「社会的価値」はほとんど認められなくなって、単なる食糧生産係としての役割だけが求められているんだな~。

(野口憲一「『やりがい搾取』の農業論」新潮新書

 

 これからの食糧確保のことを考えると、大切なのは、過保護にされている消費者ではなく、生産者の「持続可能性」だよ。そのためには、まず、生産現場をもっと身近に感じられるようにすることだね。フェアトレードの世界では、例えばカカオ豆やコーヒー豆の販売に合わせて、産地で作業する生産者の写真を見せて説明する場面があるけど、あれって大事だよね。生産者への敬意がかきたてられるよ。

 さらに、食料市場のDXが進めば、「生産の見える化が進むだろうね。消費者で「常にエシカル」な行動をとる人はごくわずかだけれど、「ときどきエシカル」な人は60~75%もいて、圧倒的なバイイングパワーを持っている。彼らが買い物をする時に、ふと立ち止まって商品を選択できるよう、売り場で生産現場の情報を表示したらどう?

 そして、より重要なのは、現在の肉や野菜などの価格に、農業による社会的損失が十分に反映されていないってことなんだな~。「食べる」=「環境・労働への負荷」なんだから、消費者はもっと責任を感じなくちゃ。肉税や野菜税で財源を確保した上で、「エシカル度」の高い手法を用いる農家には補助金を充て、出荷時の価格を抑えてはどうかな。また、多少見た目が良くなくても出荷できれば、選別のコストを下げられるよね。消費者意識を変えつつ、農家の努力が肉や野菜の価格に反映される仕組みにすべきなんだな~

 

災害対応はリスクコミュニケーションから!

2022年5月2日(月)

 エディカよ。

 

 大型連休に入ったわ。ロシアが核攻撃をちらつかせているウクライナ情勢も大いに不安だけれど、今、何が心配かというと観光産業の安全性ね。「KAZU1」の事故は大惨事になったわ。新型コロナによる経済停滞状態から一気に挽回しようと、業界全体で無理をしてしまう可能性があるわ。みんなも気を付けてね。

 

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 自然災害のことも忘れちゃだめよ、そもそも日本列島は世界の地震の1~2割、火山の約1割が分布する特殊地域なの。特に3つのプレートが接する「三重会合点」に近い関東地方は要注意よ。(中島淳一「日本列島の未来」ナツメ社)

 国家の危機管理の成否を分けるポイントは、平常時に最悪の事態をリアルな形で想定しておいて事態発生の初期から手を打つこと、組織・人員・資材を用意すること、そしてもう一つは適切なリスクコミュニケーションをとることよ。リスクコミュ二ケーションのあり方一つで状況が全く変わるの。

(柳田邦男「この国の危機管理失敗の本質」毎日新聞出版

 

 ドイツの社会学ウルリッヒ・ベックは、現代を「リスク社会」としたわ。その心は、自然災害や感染症を乗り越えるため人類は土木や医療といった科学技術を発展させてきたけれど、進化した科学技術が新しいリスクを生み出し、さらにこれを克服するため、新しい科学技術が必要になってくるという永遠のサイクルの中に私たちは生きているの。洪水を防ぐためダムや堤防を築くと土砂がたまってその処理が問題となる、感染症も耐性菌が出現し、もっと強力な抗生物質が必要となる・・・要は常にリスクと向き合っていかなくちゃならないの。

 こうした世の中では、モノや制度を作る立場にある人の意識が大事よ。例えば、工学的な視点だけで安全性を考えると、住民の避難対策や環境汚染といった問題はなおざりにされるわ。また、危機管理の仕組みを作ろうとシステムの中枢領域の安全性の確立に力を入れすぎちゃって、他の領域の対策はほどほどでよいといった安易な考えも生じるわ。いずれも、「被害者の視点」が不足しているのね。危機管理を考えるためには、現場をよく理解し、被害者・被災者の視点をもった専門家を動員して、従来の枠組みにとらわれない発想を持つことが大事よ。

 その意味で、リスクコミュニケーションは重要な意味を帯びてくるわ。対策の向こう側にいる人々の生活を知るため、対話の場をどんどん設定することね。時に、新型コロナ対応ではどれだけ対話がなされてきたのかしら。自宅療養やワクチンに対する不安に対してどれだけ答えてきたのかしら。世の中が非対面になっているからと、こうしたことを疎かにしてやしない?

 

 リスクコミュニケーションのもう一つの観点は、国民一人ひとりの意識醸成ね。現代リスク社会では、全ての危機に対応する「オールハザード・アプローチ」が必要とされているわ。それこそ、自然災害、大規模事故、国民保護事案、安全保障、情報セキュリティ、気候変動、感染症パンデミックなど様々なものが挙げられる。さすがに国や自治体の対応にも限界がくるわ。私たちの心構えが必要となってくるの。

 特に、科学や法律が絶対視されてると、一人ひとりが生きる上で重要な個別性や多様な価値観といったものが無視されがちね。科学や法律で作られる判断基準はあくまでも目安に、状況によって柔軟に対応することで自らの命を守るという意識を持つことが大事よ。これこそが「リスクの個人化」・・・つまり、近代化がもたらした自己決定に基づいた社会において、個人の危機管理能力が求められる状況にあるということよ。

 ひどい大雨でも避難しない人がいるわ。物理的なハードルがあるのかもしれない・・・でも、より大きいのは心理的な要因ね。「自分は大丈夫」という正常化バイアスや、過去の経験から「これくらいなら大丈夫」と判断して逃げ遅れてしまう「経験の逆機能」が作用するの。こうした心理的な壁を崩すためにもリスクコミュニケーションが欠かせないわ。特に日本人に有効なのは説得コミュニケーション・・・お願いの中で、意識や態度、行動を変容させることよ。また、初等教育も期待できるわ。様々な媒体も大事ね。例えば、災害のハザードマップや冊子。東京都の『東京防災』は有名だけれど、スイスの『民間防衛』はさらに広範にオールハザードに対応しているわ。ぜひ、見習って欲しいし、行政も説明会をして欲しいわ。実際に行動することによって双方の意識が高まるの。(福田充「リスクコミュニケーション」平凡社新書

 リスクコミュニケーションのポイントは、災害対応をどれだけ自分ごとと捉えられるかということ。ちなみに、みんな、防災グッズは持ってる?これからは、自然災害だけでなく、「感染症パンデミック拡張版」も必要よ。目に見える形で準備することが大事なの。「後で」じゃなく「今」すぐ行動してみてね!

 

誰もが納得する賃金決定の方法とは!?

2022年4月25日(月)

  レーブだ。

 

 物価が上昇している。ウクライナが泥沼の様相を呈していることに加え、円安が輪をかける。デフレ脱却は望ましが、それも賃金アップが期待されるからだ。ところが、日本の賃金は先進国の中で最低ランクとなって久しい。いったん、賃金がどのようにして成立しているのか整理した上で、新たな方策を提案したい。

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 知っているとは思うが、賃金は個人の頑張りや実績でどうこうできるものではない。細かいことを抜きにすれば賃金を決定する要素は、①雇用主側と従業員側との長きにわたる闘争の結果、②業界ごとに存在する相場、③公平に払わなくてないけないという考え方、の3つだ。つまり、前後左右上下とがんじがらめになっていて、そう簡単に動かせるものではないのだ。

 この硬直化した賃金制度を突破するために、「個人の実績に基づくべき」という考え方がある。その最たる仕組みが「業績評価制度」だ。しかし、体験した誰もが賛同してくれると思うが、業績を評価するというのは案外難しいものだ。数値で表しにくい貢献度もある。客観的に測定できる「物差し」は存在しないし、仮に存在したとしても、不正に趣旨が歪められるおそれがある。営業による売上げを評価するとした場合、無理やり顧客に商品を売りつけてしまうことになりかねない。また、賃金の源は組織の収益だが、組織内でパイを奪い合うと組織全体で収益を上げる方向と逆向きになりかねない。

 

 ②の業界別相場は動かしやすいと思えるかもしれない。現代ではIT業界がモテモテだ。有能なエンジニアがケタ違いの収益を得ることだってある。そこへ競合する企業が優秀な人材をヘッドハンティングしようと契約金を吊り上げれば、相対的に賃金が上がっていく。

 しかし、雇用主側にも対抗措置がある。一例が「引き抜き禁止協定」だ。アップルのスティーブ・ジョブズとグーグルのセルゲイ・ブリンとの間で協定が結ばれ、シリコンバレー全体のルールとなったこともあった。雇用主がこうしたルールを採用していると、求人数は高水準であっても賃金の伸びは停滞してしまう。また、合併を仕掛けられた場合は、引き抜き自体が存在しなくなる。

 さらに、現代の株主資本主義においては、株主という「ビッグボス」が存在する。株主の意向に反する行為をとれば制裁が下される。米国最大手の小売り業者ウォルマートが従業員の昇給を決めた時、株主は一斉に同社の株を売り払い、四半世紀で最大の下げ幅を記録することとなった。

(ジェイク・ローゼンフェルド「給料はあなたの価値なのか」みすず書房

 

 硬直化した賃金制度は「ブルシット・ジョブ」を増殖させる。ブルシット・ジョブとは、無意味で不必要な雇用形態を言う。電子メールのやりとり、無用な会議、管理業務等の中にブルシット・ジョブが潜んでいる。現代は「情報」に価値があるとされる。このため、情報を扱う労働が最も価値があるものとしてもてはやされる。金融関係が代表選手だ。行政機構もそうだ。全員がそうとは言わないが、彼らは自ら仕事を作って「存在価値」を維持しようとしている。

 一方でシット・ジョブとは労働環境が劣悪な「きつい仕事」だ。賃金はおよそ低く抑えられている。しかし、物を生産したり、後片付けをしたり、人のケアをしたりとその内容は極めて有用なものだ。

 このように仕事の有用性と報酬には反転した関係がある。社会に便益をもたらす人間は多くの報酬を受けてはならぬという倒錯した平等主義が根底にあるのだろう。まさに硬直化した賃金制度がうってつけの世界だ。そして、その外側で、「価値」や「実績」を自ら表現することが容易なブルシット・ジョブが幅を利かせることとなる。

(デヴィッド・グレーバー「ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論」岩波書店

 

 対策は容易ではない。ヒントは岸田内閣の下で設置された「公的価格検討評価委員会」だ。ここでは、看護、介護、保育、幼児教育などで働く人の収入を増やす方策が検討されている。これらの賃金は財源が公的制度により賄われているので検討しやすい。これをヒントに、他の職業も同様に、業態ごとに最低賃金を決定する場を国に設けるべきだ。「春闘」のような「労使自治」を大事にしたい人もいよう。しかし、交渉は厳しいし、社会保障制度と一体的な議論も欲しいところだ。(後藤道夫ら「最低賃金1500円がつくる仕事と暮らし)

 最低賃金を上げることに対する雇用主側や株主の反発は大きい。しかし、十分な給与を受け取る従業員は満足度の高い忠実な従業員となり、生産性も上がる。また、最低賃金の引き上げは自殺率の低下をもたらす。最低賃金を上げることによって人の尊厳を維持できるのだ。最低賃金に近い賃金で働く労働者の数が大幅に増加している現在、社会の活力を取り戻すためにも、今こそ国家的対応が求められている。

 

熾烈な半導体戦争。日本よ、遅れを取るな!

2022年4月18日(月)

 トランだ。

 

 ロシア軍によるウクライナ侵攻は、石油という天然資源の重要さを再認識させてくれたが、新型コロナウイルス感染症は思いもかけない素材の重要さを教えてくれた。それは半導体だ。次世代移動通信(5G/6G)やAI、量子コンピュータなど、システム社会が到来しつつある。今、世界が血眼になって半導体を取り合っている。果たして日本は競争に乗り遅れてやしないか、心配だぜ。

 

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 21世紀のインフラの主役は、間違いなく半導体だ。半導体は電気を通す部分と通さない部分から構成されていて、これで電気信号をコントロールする。この性質が重宝され、今ではほとんどの電子機器に組み込まれている。半導体が無ければスマホも使えないし、自動車や鉄道も動かない。新型コロナウイルス感染症のおかげでリモートライフが進んだが、半導体が無ければ何もできやしないぜ。

 こんな中、世界では半導体争奪戦が激しさを増している。特に米国の動きは素早く、実に露骨だ。バイデン政権は半導体の製造工程のシェアを抑えるため、台湾にある世界最大の半導体メーカーTSMCに対し、米国内に工場を建設させようとしている。TSMCは、製品値上げに踏み切れば世界が震えると言われているほど価格決定力を持つ。米国は設計企業は粒ぞろいだが生産部門は弱い。中国のキャッチアップも脅威だ。米国が台湾への関与を強めたのは、中国の軍事的野心を警戒するからだけじゃない。半導体を守りたいからだ。中国軍が台湾のシリコンバレーである新竹を支配すれば世界のサプライチェーンは崩壊する。分かりやすいだろう。さらに、米国は韓国にも圧力をかけている。TSMCに次ぐ半導体工場を持つサムスン電子にも国内への工場進出を促している。どこまでも貪欲なんだぜ。

 こうした姿勢は補助金にも表れている。米国は半導体分野に対し、2021年は3兆8000億円の支援をしている。各国も力を入れている。中国は国・地方合わせて10兆円規模の予算だ。アメリカによる締め出しを受け、自給体制の確立を目指して急成長中だ。EUは2030年までに世界シェア20%を目指している。かたや日本の予算は2000億円と心許ないぜ。(太田泰彦「2030半導体地政学日本経済新聞出版)

 

 日本はかつて、半導体生産能力ではトップを走っていたが、今は台湾、韓国に次ぐ第3位だ。こうなった原因に、86年の「日米半導体協定」が挙げられる。海外製半導体を20%以上輸入することを義務付けられ、日本製は締め出しに合ったんだ。知的財産権に対する姿勢も甘かったな。諸外国の設備投資に合わせて装置を販売する際、技術やノウハウまでも教えちまった。これまでは業界再編で凌いできたが、これからは巻き返しを図らなきゃだめだぜ。

 日本はシステムLSIを得意としている。システムLSIは、CPUやメモリ、その他の電子機器に必要な周辺回路などを一つのチップに集積したもので、大量生産という訳にはいかない代物だ。部品点数の削減、小型化、多機能化などの課題を克服すれば、次世代システムを手中に収められる。さらに、マニアックな話になるが、光電融合の技術を磨けば、アナログ世界を丸ごと捉えて情報処理することができる。期待大だぜ。

 半導体の製造装置も有望だ。仮に半導体産業全体の市場規模を30兆円とすると、製造装置産業は5兆円以上にもなる。しかも、製造装置を抑えれば素材も抑えやすくなる。現在、世界トップ企業の半数は日本メーカーが占めるまでに復調している。さしもの中国も決して強くない分野だ。(センス・アンド・フォース「半導体業界の動向とカラクリがよ~くわかる本」秀和システム

 

 そして、一番重要なのは国の姿勢だ。1980年代以降、産官学連携の大型プロジェクトは存在しない。改めて、半導体を国の戦略物質として位置付けて、支援すべきだぜ。

 一つは、人材の確保だ。ISSCC(国際固体素子回路会議)における日本の半導体論文提出数は上位ながら年々減少している。次世代素材は他国からの攻撃対象にもなる。高い技術力や開発力を持った技術者を優遇するとともに、知的財産権を手厚く保護していくことが重要だ。

 業界の再構築も必要だ。部品を買う側にいたユーザー企業も、これからは設計を自ら手がける流れになる。世の中の急激な変化に柔軟に対応できるよう水平型分業を徹底させるとともに、企業間で解決しなければならない課題について国が調整役を担うことだ。

 さらに、日本は高齢化など人々の暮らしの質が問われる課題先進国だ。次世代半導体とされる「有機バイス」のような柔らかい素材を体に張り付ければ健康管理をより精緻に行うことができる。産業部門だけでなく健康、教育など政府の様々な部門が一丸となって国内で実装化し、世界に売り込みをかけていく土壌をつくることが大事だぜ。

 

「決められない」日本人気質が経済再生を阻む!

2022年4月11日(月)

 コノミです。

 

 新型コロナウイルス・オミクロン株の破壊力は侮れません。東京都の感染者数ピークは2万3千人に達し、濃厚接触者は79万人と見積もられました。これは都民の「17人に1人」となるそうです(Asahi Shimbun Weekly AERA 2022.2.14)。リバウンドの兆候が見られる中、今後、この数値を上回る可能性だってあります。

 そんな中、不思議に思ったのは、「濃厚接触者かどうか保健所に早く決めて欲しい」という声が多かったことです。どうやら、「濃厚接触者じゃありません」と言って欲しかったみたいです。濃厚接触者と認定されると職場に行けません。学級閉鎖を考えなくてはなりません。みんな、濃厚接触者がどういうケースか何となく知っているはずですが、周りの目が気になって、自分では勝手に決められず、第三者に決めて欲しいのです。この「決められない」背景に、日本社会の根深い問題があります。これからの日本の経済再生を阻む要因でもあります

 

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 日本社会は前近代的ムラ社会から脱却できていませんムラ社会では人間関係は上下関係で成り立っています。経験や伝統が重視されるのです。そこでは科学的な合理性ではなく、情緒や個人的な利益によって意思決定がなされます。失敗が許されず、緻密な生産管理が必要とされる水稲文化が、集団や組織を重視する日本人のメンタリティーに大きな影響を与えたと考えられます。(塚谷泰生ら「ふしぎな日本人」ちくま新書

 ムラでは、「あれもするな」、「これもするな」と若者たちに従順さを強要し、その活力を抑え込みます。周囲と異なる主張をすると村八分にされます。ましてや政治の話はタブー視されています。選挙権は18歳以上に引き下げられましたが、若者の投票率が上がらないのも仕方ありません。こうなってくると、自分の意見が言えず、自分で決める力が失われていき、ついには自らのアイデンティティーでさえ第三者に依存することになってしまいます。副作用はイレギュラーな事態への対処が苦手になることです。新型コロナ対応はその典型でしょう。(花房尚作「田舎はいやらしい」光文社新書

 こうした社会では、権威のある者は地位を得ると、守りに入ります。彼らにとって、現状維持が一番で、変えようとする者の足を引っ張ります。「スパイト行動」といって、自分の利益が減ってでも相手を陥れようとする行動がありますが、これは日本人に顕著らしいです。この足を引っ張る行動が「恐れ」を生み出し、組織に秩序をもたらします。こうして完成された「雰囲気」や「空気」による支配のメカニズムは、どこまでもエスカレートします。科学的事実を根拠にする営みとは別世界です。必然的に学校教育も抑圧的なものになります。そうしておかないと、社会に出た時に、この支配メカニズムに耐えられなくなるからです。実際、多くの企業が、社員の「日本人らしさ」を重んじています。(加谷圭一「国民の底意地の悪さが、日本経済低迷の元凶」幻冬舎新書)(クーリエ・ジャポン「不思議の国ニッポン」講談社現代新書

 

 日本が経済再生を果たすための鍵は「イノベーション」です。でも、社会の雰囲気が暗く、新しい技術やビジネスにネガティブなところではイノベーションは活発になりません。また、足の引っ張り合いが絶えないため、多くの人が他人を信用していません。相手を信用できないことによって生じる経済的コストは膨大です。例えば、信用をより確実にするため、新規参入の余地が無いくらいガチガチの取引系列を作り上げます。そこから得られる利益は微々たるものです。これはコストでしかありません。加えて、経済再生には個人消費の活性化も必要となります。個人消費には前向きなマインドが求められますが、不寛容で抑圧的な風潮が「待った」をかけています

 

 今、必要なのは「謙虚さ」と「寛容さ」です。日本人は自国の技術を過大評価し、逆に他国の新しい技術を過小評価する傾向にあります。集団主義がうまく当てはまったこれまでの成功体験が日本列島全体に染みついているのです。でも、もともと日本は外国の良いところを謙虚に採り入れてきました。これから世界と渡り合うのであれば、経験知やプライドは懐にそっとしまっておいて、世界の動きを見ること、聴くこと、学ぶことをやり直すのです。外国人を受け入れることで、多様性を受け入れる訓練をすることも必要です。

 また、若者の声にもっと耳を傾けることです。徐々にですが個人主義が浸透しつつあります。加えて、新型コロナの感染拡大は革命的な出来事でした。もはや若者たちの価値観は親の世代とは違うと考えてよいでしょう。その声を頭ごなしに否定せず、真摯に受け止めるのです。こうした姿勢を各人が持つことによって初めて、自ら「決める」ことができる社会が作られていくのです。

 

国際保健が教えてくれる、国内コロナ対応の落し穴!

2022年4月4日(月)

 ハルです。

 

 オミクロン株BA.2によるリバウンドの兆候が見られます。毎度ながら、新型コロナ感染症は、生命をとるのか経済をとるのかという二択を私たちに突き付けてきます。実は、こうしたジレンマは新しい話ではありません。国際保健のこれまでの歩みを知ることで、国内対策のあるべき論を知ることができます

 

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 オミクロン株が当初、南アフリカを中心に拡大した際、日本で講じられたのは「水際対策」、すなわち検疫の強化でした。検疫(quarantine)の語源はベネツィアの方言で「40日間」を表す「クワランテーナ」から来ています。ペストが大流行した15世紀、ベネツィア共和国は当方から入港する交易船を強制的に40日間留め置く措置を取りました。(秋道智彌ら「疫病と海」西日本出版社

 しかし、19世紀に国際通商・交通が発展するにつれて、検疫隔離によって生じる遅延や損失が問題視されました。経済を優先する声が高まったのです。加えて、医学的な見地からも、検疫隔離の効果と必要性について疑問の声が挙がりました。年末年始の水際対策について言えば、陽性者が出た飛行機の乗客全員を宿泊療養施設で監視するという国際標準を上回る措置によって、国内流行を3週間程度遅らせることができたと評価されています。一方で、結局は国内流行を防ぐことはできませんでした。検疫隔離には限界があるのです。

 世界保健機関(WHO)の国際保健規則では、国際交通・貿易に対し、不必要に干渉しないこと、人権を考慮すべきであることが掲げられています。科学的根拠のない過剰な防疫は認められないのです。そうは言っても「検疫隔離論」は今も根強くあります。ちなみに、前身の規則である1951年国際衛生規則では、アジア的感染症からヨーロッパを守るという方針が採用されていました。また、国際連盟時代は、ロックフェラー財団の資金提供により、シンガポールに「極東事務所」が置かれ、感染症の監視がなされていました。ペストなどがアジアから入ってくることを恐れたのです。差別的な取扱いと言えますが、日本国内に照らすと、海外からの流入が多い羽田・成田・関空のほか、沖縄、北海道は、常に監視体制を強化しておく必要があると言えます。

 

 「水際対策」の次は感染の「封じ込め」です。陽性者から濃厚接触者を割り出し、監視するのです。1960年代当初の国際的な天然痘根絶プログラムでは、人口の80%を目標に、できるだけ多くの人々にワクチンを接種するという方針が採られていましたが、ワクチンの不足や接種を拒絶する人々がいるなど壁にぶつかります。このような中、WHOは、人口密度の高い地域では、80%の高いワクチン接種率を達成しても流行が起こる可能性が残ることを論証し、監視と封じ込め戦略の優位性を主張したのです。

 しかし、現実的にこの戦略はマンパワーが必要となります。国内で年末年始に人流抑制がなされなかったことは、感染力が強いオミクロン株にとっては水を得た魚でした。急激な感染拡大により保健所業務は逼迫し、濃厚接触者を突き止めることはできなくなりました。監視と封じ込めが通用するのは、国内感染のごく初期の段階です。そして、緊急事態宣言などの強い制限措置も、感染拡大当初期が決め手となります。感染力や病原性が分からない未知の感染症ならなおさらです。国際的監視体制には、世界中の専門家から情報を集める「ProMED」、世界中の公式・非公式のオープン情報を自動収集する「GPHIN」などの仕組みがあります。日本でも複数のチャネルからなる重層的な情報集約システムを構築し、迅速に取組みにつなげるようにしなくてはなりません

(笹沢教一「コロナとWHO」集英社新書

 

 最後に検査やワクチンといった技術的な手段です。国際保健の世界では長らく論争の的となっています。1955年、WHO総会はDDT散布を主軸とするマラリア根絶プログラムを採択しましたが、挫折に終わりました。住民の協力が得られなかったこと、耐性を持つ蚊が出現したこと等が原因です。こうした技術的手段は費用対効果が優れていることから、早く問題解決を図りたい政治にとっては大変魅力的に見えますが、落とし穴もあります。新型コロナワクチン3回目接種について、嫌がる人が増えています。4回目ともなるとどうでしょう?

 また、こうした技術的手段で覆い隠されてしまう、人々の健康のあり方を今一度思い起こすべきです。WHOはプライマリ・ヘルス・ケアを重視しています。医療だけで解決できない広範な取組になります。しかし、新型コロナが露わにした重症化リスクは、高齢のほか、肥満、基礎疾患といった脆弱性です。そして、これらの課題は、どこかで貧困などの社会的な歪みとつながっているのです。経済成長の陰で置き去りにされている健康への「配慮」が重要なのです。

 

「お値段以上」!?日本の新型コロナ財政・金融支援策

2022年3月28日(月)

 フィナよ~。

 

 22日、令和4年度予算案が成立したわ。引き続き、新型コロナウイルス感染症対策が重要課題ね。これまでも、かなりの予算がつぎ込まれたわ。対GDP比だと、仏9.6%、独13.6%、英16.2%という中で、日本は16.5%となっていて結構なものよ。でも、なぜこんなに費用がかかったのか、冷静に分析しておく必要があるわ。だって、コロナが去った後、次にやってくるのは財政危機・・・みんなで尻ぬぐいすることになるのだから。

 

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 新型コロナウイルス感染症との戦いはハードよ。経済活動そのものを直撃するから。だから、あらゆる分野で財政・金融支援が必要になる。これがアメリカともなると、世界経済への影響がハンパないから必死さも違ってくるわ。2020年3月、米国債が売られ、株価が下がり、みんな、ドル買いに殺到したの。アメリカの中央銀行であるFRB連邦準備制度)は金融市場を落ち着かせるため、ゼロ金利施策、世界へのドル供給、地方債買入れなど、なりふりかまわず、やれることをやり尽くしたわね。(アダム・トゥーズ「世界はコロナとどう闘ったのか?」東洋経済

 こうした強力なパフォーマンスは安心感をもたらしてくれるわ。経済学の基本に、「人間は満足度を最大化する」というものがあるの。つまり、人々の気持ちが重要になってくるの。特に「現在バイアス」のおかげで、私たちは「将来」よりも「今」の楽しみを優先させてしまうの。だから、「今」の人々の気持ちは無視できない。逆に言えば、これからの財政・金融政策は、人々の心にいかに「刺さる」ものになるかが鍵になってくるわね

 

 そもそも、財政・金融って使われている言語が難しいのよね。例えば、「異次元緩和」という言葉は知ってても、それが具体的に何なのか知らないんじゃなくて。だから、たとえうまくいかなくても気にしないわよね。「異次元緩和」って、世の中に出回るお金の量を増やして、インフレ率2%を達成することで経済成長率を上げようとするものだけど、ちょっと聞いたくらいじゃ、それが世の中にとって良いことなのか分かりづらいわ。

 一方で、「インフレ」って物価が上がることだから、そこだけ聞くと遠慮被りたい話ね。1万円もらう喜びよりも1万円を失う痛みのほうがはるかに大きいという「プロスぺクト理論」の考え方からすれば、なんだかんだ言って、今のまま物価が低く抑えられているほうが、物価が上がって手持ち金を失うより断然マシよ。異次元緩和のため大金をつぎ込みながら、理解を得られるよう人々の心理に働きかけたいのであれば、「給料が上がりますよ」といったポジティブな話にしなきゃね。大規模アンケートによって意識づけする方法もいいわね。(翁邦雄「人の心に働きかける経済政策」岩波新書

 

 振り返ってみると、日本財政が政治問題化することを避けようと、合意を取り付けやすい財政・金融支援に依存してきたという構図が見えてくるわ。コロナ禍では病床も検査キットもワクチンも「足りない」とされたれど、これまで公衆衛生や医療に十分な予算措置をしてこなかったのだから当然と言えば当然ね。ツケが回ってきただけなの。

 お隣の中国や韓国は違ったわ。中国政府は新型コロナウイルスを最初からSARSやMARSのレンズを通して見ていた。だから、湖北省というたった一つの省でまん延した感染と戦うため、国家資源を総動員したの。そして、MARSを経験した韓国では、国内のバイオテック企業に対し、検査キットの開発をスピード優先で要請したわ。お金の使いどころが違うのよね。

 今必要なのは、財政・金融支援の費用対効果を念頭に置きつつ果断な対策を行えるリーダーシップと、「今」を大事にし過ぎる国民の気持ちを適切な方向に誘導する方法の検討よ。

 コロナ対策のため医療体制充実にかけた7.8兆円の費用を、コロナ病床3.9万床で割ると1床当たり2億円もかけていることになるの。これで、「病床が逼迫しています。緊急事態です。」と言われてもね~。ワクチンの費用対効果のほうが断然大きいわ。(原田泰「コロナ政策の費用対効果」ちくま新書

 今後、これまでの新型コロナ対策を振り返る機会があるでしょう。その時には是非、財政・金融支援の費用対効果をきちんと検証してほしいわ。併せて、緊急事態措置など経済活動を一時凍結させる対策については、その妥当性が話題に上がるでしょうね。こうした、「今」を耐え忍ばなければならない措置について、人々が心理的に受け入れられやすくするよう、「現在バイアス」を修正する取組とセットで行うことが必要よ。ちなみに、イギリス政府は行動洞察チーム(BIT)を設立したわ。これは、行動経済学的な知見を活用して、人々の意思決定に影響を与え、生活をよりよいものにするものよ。この機会に日本でも採用を検討してみたらどうかしら。