「女性活躍」と言うまでもない世の中へ向かってスタート!

 2019年11月25日(月)

 レーブだ。

 

 先月、大嘗祭(だいじょうさい)が厳かに行われた。

 大嘗祭とは天皇即位後の新嘗祭(にいなめさい)を言う。新嘗祭は毎年11月23日に行われる五穀豊穣を感謝する宮中祭祀だが、11月23日と言えば、多くの人の印象は「勤労感謝の日」ではないだろうか。しかし、これは敗戦後、天皇を意識させないよう米国によって押し付けられたものだ。

 

 そういうわけで「勤労感謝の日」がもはや何に対する日かあいまいになっているが、ここではみんなの日頃の勤労に感謝しつつ、「女性の活躍」に触れておきたい。

 

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 世界経済フォーラム(WEF)の男女格差の度合いを表す「グローバル・ジェンダー・ギャップ指数」では日本は世界で110位と低レベルだ。特に管理職の女性比率は先進国の中で韓国に次いで低い。(令和元年版 男女共同参画白書

 雇う側の意識の問題もあるだろう。女性の側も管理職になることに躊躇してしまう。「管理職になる≒長時間働く」という現状が重たい。しかし、「女性」に十分な対応が行えない職場が、多様な文化や人々を受け容れていくことができるだろうか。早急に改善を図るべきだ。(中原淳「女性の視点で見直し人材育成」ダイヤモンド社

 

 根本的な問題の一つとして、日本は中小企業が多いことが挙げられている。確かに中小企業は女性にとって活躍しやすい場とは言い難い。出産・子育てに際し、同僚にバックアップしてもらうことは期待できないだろう。セクハラ・パワハラも見過ごされやすい。

 制度も中小企業に甘い。女性活躍推進法は、女性の職業選びに役立つ情報の開示を企業に求めているが、その対象は従業員数301人以上の職場だ。これ以下の企業には何ら義務は無い。そして、中小企業の社長は圧倒的に男性だ(デービッド・アトキンソン「国運の分岐点」講談社+α新書) 。管理職クラスに女性がいなければ、女性職員が将来像を描くのは難しいだろう。男性職員はぜひ逆の立場になって考えてみて欲しい。

 

 加えて、世の中が家事・育児を各世帯任せにし、放置してきたツケが大きい。妊娠・出産は女性に起こるライフイベントだ。世帯内の力学に任せておくと、女性が家事・育児をもっぱら行うことが「合理的」となってしまう。 

 そうすると、女性にとっては、経済的自立ができるのであれば、結婚自体がもはや「合理的」でなくなる。こうして、日本は少子化社会を突き進んでいる。日本社会が多様な世の中を求めるのであれば、「合理的」な選択が「多様性」につながるよう、しっかりとした社会的支援を行うことが必要だ。

 

 意外に思うかもしれないが、日本は「育休先進国」だ。あくまでも制度的には整っているという意味で。しかし、活用が十分でない。育児休業取得率は女性だと1993~2011年で58%。男性となると2017年でも5%だ。(山口慎太郎「『家族の幸せ』の経済学」光文社新書 

 ここでは、フランスの取組を参考にしたい(最近では出生率が3年連続で低下しているようではあるが・・・)。フランスは、革命を経て「平等」の精神を育んできた。このため、兄弟姉妹間であっても公平に財産を持つこととされ、結果、一人当たりの分け前が少なくなり、経済的制約から早くから少子化が始まった。

 人口減少は国防面では極めて問題だ。危機感から19~20世紀初頭より「家族・出産重視」の考え方が生まれ、手厚い家族手当制度が創設された。ユニークなことに手当は14歳以上の子どもがいると加算される。14歳以上はちょうど学費などにお金がかかる頃だ。体も大きくなって広い居住スペースも欲しいだろう。手が届くところに支援を行っているわけだ。

 

 我が日本を振り返ってみると、子どもが大きくなるにつれて手当は減額される。子育て世代の所得水準が減っている中でこれは痛い若い人たちも今が良ければいいとは考えない。目の前のニンジン(手当)をぶら下げるではなく、むしろ、将来における「安心・保証」が見えるようにするべきだ。

 また、母親だけが子育ての担い手になる必要はない。父親の協力が重要だ。そして、保育園という手もある。研究データによると、子どもが母親と一緒に過ごした期間の長さは、将来の進学状況や労働所得にさほど影響を与えていないそうだ。外部の力を借りながら、両親が育児休暇をフルに活用して、育児と仕事の両立を図ることが当たり前となるべきだ。(村上芽「少子化する世界」日経プレミアシリーズ)

 

 女性の活躍、そして多様性をうたうのであれば、多面的な社会的支援が必要だ。遅いということはない。ある程度の人口減少は免れないが、その後の人口維持にはつながる。そして、その時に誰もが活躍できる満足度の高い社会になっているのであればそれはとてもハッピーだろうし、そもそも「女性活躍」なんてことは言う必要がなくなっているだろう。