新型コロナ対策にも言える環境問題に見る「崩壊学」

2020年4月20日(月)

 エンヴィです。

 

 4月16日、ついに新型コロナウイルスの「緊急事態宣言」の対象地域が全国に拡大されましたね。寂しい春です。このまま流行が続き、経済活動が停滞するとなると、国のシステム全体に大きな影響をもたらす可能性があります。

 

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 すでに医療崩壊が叫ばれています。不要不急の予定手術は延期されていきます。東京都では患者のたらい回しも問題になりました。健康でいられないとなると、僕たちの活動も低下します。このように、現代のシステムでは、深刻なパンデミック(感染の大流行)は連鎖的に影響し合い、システム全体に「崩壊」をもたらすのです

 

 今、こうした「崩壊」に対する考え方が求められています。ここでいう「崩壊」とは、多くの人に生活必需品が行き届かなくなる状態を言います。今回は、買い占めや流通の停滞でトイレットペーパーや食料品が手に入らなくなりました。

 「崩壊」に対する考え方の基本ポイントは以下のとおりです。 

リスクは指数関数的に増加するケースがある。これは人の想像を超える。

・リスクが一つの分野だけでなくシステム全体に及ぶことがあるという最終形をイメージしておく。

新しい対応策は、多くの関係者の既得権益や集団心理に邪魔され、日の目を見ない

(パブロ・セルヴィーニュら「崩壊学」草思社

 

 実際、新型コロナウイルスでは感染が倍々ゲームで増えました。そのスピードは想像をはるかに超えました。感染力の強さと潜伏期間の長さを考えると、経済活動全体への影響を想像力たくましくしておく必要がありました。その上で、最初から、行動制限・入国制限を徹底し、感染のスピードを最小限に抑える必要がありました。当然、こうした措置への反発は必至です。「既得権益」が損なわれるからです。しかし、パンデミックによる影響と比べれば問題になりません。冷静な思考が必要です。

 

 「崩壊」に対する考え方については、実は、環境分野が十八番(おはこ)です。そして、僕たちが最も苦手としています。

 地球温暖化問題が叫ばれ、エネルギーの節約が求められています。しかし、僕たちの頭は「利便性」を盾にして、危機を考えないようにしています。 

 

 石油生産のピークは2006年に越えています。その後、シェールガスが発見されたことで安堵感がただよいました。しかし、シェールガスは膨大なコストがかかる上、採掘に伴う自然への影響は甚大です。根本的な解決にならないのです。一方で、世界の人口は増加の一途をたどり、生産活動は倍々ゲームで増えています。僕たちは今の利便性を手放そうとしません。危機は確実に迫っています。

 そして、石油の減少は他のエネルギーの減少にもつながります再生可能エネルギーとされている風力発電太陽光発電も設備投資に使われるエネルギーは皮肉にも石油なのです。エネルギー危機は経済危機をもたらします。

 気候変動によるリスクも考えなければなりません。2100年までに1986~2005年と比べて平均気温が4.8℃上昇すると指摘されています。大陸部では10℃上昇することになります。海面は上昇し、主なデルタ地帯で農作業が不可能になります。食糧危機が生じます。

 生態系のバランスにも影響を及ぼします。生物の絶滅の確率も急激に高まっています。一つの種の絶滅は食物連鎖を通じて他の種の絶滅につながります。実は、生物多様性は農業の生産性を保証してくれています。感染症の発生も抑えてくれています。今回の新型コロナウイルスの登場も、僕たちの経済活動がもたらす自然へのプレッシャーが原因かもしれません。

 

 このような「崩壊」を招かないためにも、最終形をイメージして、今できることを考えておく必要があります。再生可能エネルギーが自己生成能力を持つようになるまでの間は、経済成長をゆるやかに逆回転させていくという発想を持つことです

 人口減少もやむなしと捉えて、無理に増加させようとしないことです。併せて、経済格差をできる限り減らし、僕たちお互いが助け合いやすくなる土壌づくりを進めておくのです。そして、できる限り石油エネルギーを使わなくて済むような生活スタイルを心がけ、これに馴れておくことが大事です。例えば、移動には自家用車ではなく、乗り合い形式や公共交通機関を利用すること、極力、自分の足を使うことを意識するのです。パソコンやスマートフォンの使用時間も減らしましょう。外からの刺激に頼らず、自分の身体や頭のフルに使って、健康でいられる状態、創造力の高い状態にしておきましょう

 

 今回の新型コロナウイルスへでは時差出勤やテレワークが進められました。各種イベントも中止を余儀なくされました。今一度、これまでの当たり前とされていた生活スタイルが何だったのか、本当に必要であり続けるのか、考えるきっかけになればと思います