美術館に行かないで。「アート思考」がもたらす新境地!

2020年6月8日(月)

 エディカです。

 

 新型コロナウイルス感染症拡大の真っただ中で「アート思考」が役に立ったわ。何だか分かる?

 

 答えは、マスク・・・。

 冬場、これから花粉症に備えましょうって時に、お店に大量に並んでたのが懐かしいわ。その後、驚くくらい世の中から無くなったわね。

 でも、不足することで、かえってお決まりのマスクじゃなくて良くなったわ。ハンカチで自作したり、生地屋さんが布地のマスクを作って販売したり、下着メーカーがブラジャーでオシャレに作ってみたりと、柔軟な発想に驚かされたわ。小学校で習った「手芸」を思い出した人もいたんじゃなくて。

 

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 今こそ「アート思考」が必要とされているわ。

 現代は複雑で将来の見通しが効かなくなっている「VUCA(変動、不確実、複雑、曖昧)」と呼ばれる時代。加えての「情報化社会」よ。書籍の発行点数だけでも1日当たり約200点。「選ぶ」ことが難しい世の中になったわ(土井英司「『人生の勝率』の高め方」KADOKAWA)。そして、インターネットによる「情報過多」のおかげで信頼性の低い情報があふれている。そもそも情報の前提から問わないといけなくなったの。(マルクス・ガブリエル「世界史の針が巻き戻るとき」PHP新書 

 だから、数ある情報を取捨選択しながら自分なりの答えを作ることが必要となっているの。そして、「アート思考」は自分だけのものの見方を持ち、自分なりの答えを見出し、そして、新たな問いを生み出すというサイクル・・・・・、「答えが変化することを前提にした考える技術だから、これからの時代にはもってこいの「教科」よ。

 

 ここで、激動の時代、20世紀のアーティストたちの「アート思考」の痕跡を見てみない?

 

 冒頭の写真はマルセル・デュシャン(1887~1968)の作品「泉」・・・・、どこからどう見ても男性用の「便器」ね。ちょっと向きを変えてサインを書いただけ。正直、「何なの?」って言いたくなる作品よ。

 でも、これが「アート」って言われると不思議ね。「そう言われてみると曲線が艶やかね」「向きを変えてみると別の物に見えるわ」と気付きがあるわ。

 そう、これが「アート思考」なの。人間の眼ってそれこそ騙されやすいから、何気なく見ているものでさえ疑ってかかることが大事・・・・そして、様々な角度からアプローチすることで今まで見えていなかったものが見えてくるの。

 デュシャンはこの作品で、アートを「視覚」の領域から「思考」の領域に移行させたとされているわ。 (末永幸歩「13歳からのアート思考」ダイヤモンド社

 

 日本の文化や美術も負けてないわ。例えば、「平仮名」・・・・漢字から作られたわけだけれど、線を省いたり、丸っこくしたりして、ビジュアル的な美しさを極めたのよ。その一方で、日本人は漢字も捨てなかった。「ハイブリッド」させるのが得意なのね。これも「アート思考」って言えるんじゃないかしら。 

 そして、日本文化は縄文文化弥生文化の「ハイブリッド」だとされているわ。縄文的な美については、岡本太郎が「ダイナミックな造形こそが日本の美の源泉である」とする「縄文土器論」を発表して火が付いたの。

 

 縄文が「盛る」美なら、弥生は「削る」美ね。下の作品は、長谷川等伯(1539~1610)によって描かれた「松林図屏風」だけれど、えらくスッキリしてない?

 

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 これが日本の国宝と聞くと驚く人もいるでしょうね。ましてや、当時は安土桃山時代・・・・新奇好きの織田信長や派手好きの豊臣秀吉がいて、豪華絢爛に「盛る」のが良しとされていた時代に、とことん「削る」という美意識を打ち出すのは相当じゃなくて。山下裕二「日本美術の底力」NHK出版新書) 

 

 こうした神経を研ぎ澄まして鑑賞する美も素敵ね。情報過多の時代だから、あえて情報の少ない「アート」を楽しむことが大切なのかも。その時、自分と向き合うことができるの。思いをめぐらすことができるの。

 

 では、早速、美術館に行ってみましょう!って言いたいところだけれど、新型コロナウイルス感染症の影響で美術館や博物館に行きづらくなったわね。特に痛かったのは、東京国立博物館の特別展「法隆寺金堂壁画と百済観音」が中止となったこと・・・・楽しみにしてたファンの方もがっかりしたんじゃない。 

 でも、そういう時こそ「アート思考」で乗り切るの!自分で「アート」してみるの。何でもいい、やってみることが大事よ。筆をとって何か模写してみて。そこら中にある物をひっくり返して眺めて見て。普段見慣れているはずの文字を抽象画として感じてみて。市販のお菓子を切ったり積み重ねたりしてみて。書籍の背表紙で色合わせをしてみて。

 そう、アートはそこらじゅうに転がっているはずよ。その時、一味も二味も違うあなたに出会えるはず・・・・。