2021年3月1日(月)
エンヴィです。
環境が再び注目されています。菅首相は「グリーン」を強調しました。アメリカも2月19日に「パリ協定」に復帰しました。環境を守ることは僕たちの生活を守ることです。
一方で、「やり過ぎ」の環境保護は要注意です。レイチェル・カーソンによる『沈黙の春』(1962)はその典型でした。DDTという殺虫剤の危険性を世間に訴えた本で、大変な反響を呼びましたが、米国などでDDTの使用を禁止した結果、5000万人以上の人が、蚊が媒介するマラリアで命を落とすこととなりました。(ポール・A・オフィット「禍いの科学」NATIONAL GEOGRAPHIC)
そして今、身近なものとして、野菜や茶に浸透している農薬に含まれる微量化学物質の危険性が指摘されています。(奥野修司「本当は危ない国産食品」新潮新書)
ちょっとでもリスクのありそうなものを避ける「予防原則」の考えは重要です。でも、結果的に利益が少なく、かえって不都合なことが多くなる行動には気をつける必要があります。
プラスチック容器はとても便利です。ここで使用されている「ビスフェノールA」という物質は、動物実験でがんとの関連が指摘され「悪者」に祭り上げられましたが、その後の動物実験では同じ結果が認められませんでした。
また、ロシア人科学者が遺伝子組換え大豆を食べさせたラットの子どもが低体重を示したと研究発表を行い、その危険性を訴えました。その後、有害な生の大豆を餌として与えていたことが判明し、多くの国際機関が危険の根拠にならないと声明を出すこととなりました。(松永和紀「ゲノム編集食品が変える食の未来」ウェッジ)
このように、たった一つの科学的根拠でもって直ちに結論を導き出そうとすることは危険です。 特に、環境問題はより複雑なメカニズムが関係してきます。このようなジレンマの解決策として期待できるのが、「環境経済学」の考え方を使って、柔軟に「揉みほぐす」ことです。
ここでは「コースの定理」を挙げます。
これは、公害が発生した場合、その発生者と被害者との間で取引することによって、問題を丸く治められるとする考え方です。驚くべきなのは、公害の発生者にも「汚染権」という権利を認め、被害者との間で権利の売買を行わせること、つまり、市場に委ねるという点です。ロナルド・コース(1910-2013)が示し、この理論によってノーベル経済学賞を受賞しました。
もちろん、現実はうまくはいきません。「そもそも、公害発生者に権利なんて認めちゃっていいの!?」という声が聞かれそうです。でも、この理論をベースに、大気汚染に関する「排出権取引」の構想が生まれました。そうです。応用が効くのです。(藤井良広「環境金融論」青土社)
先ほどの、農薬中微量化学物質に応用するとこうなります。
「農薬によって人体を汚染するかもしれない権利」を国が設定し、農家などの使用者がこれを購入します。その時の価格は、農薬に総量規制を導入した上で市場価格によって決定されます。
農薬をたくさん使おうとする使用者ほど購入費用が大きくなります。そして、実際に健康被害が発生した場合は、使用者から集めた購入金額で被害者に賠償金として支払うのです。ここで、もし健康被害が多く発生すれば、次からの市場価格は上がることとなります。すると商品は売れなくなり、使用者も農薬開発業者も工夫が迫られます。その結果、被害が少なくなれば、今度は反対に市場価格は下がっていくでしょう。
絶妙なのは、市場に委ねることによって、つまり、各プレーヤーがそれぞれ持っているインセンティブを利用することによって、未知のリスクも織り込んだ上での「全体最適」が自律的に図られるという点です。
人間が経済活動を営む上で、常に「ゼロ・リスク」を求めることは現実的ではありません。何かをしようとすれば必ず代償を伴います。大事なのはその代償をコントロール可能な状態にすることです。
思わぬリスクが潜む可能性を考え、必要な備えをしておくことによって、問題への早期対応と再発防止につなげることができます。つまり、被害が発生するたびに個別に対応していくのではなく、「環境経済学」の理論を元にして、ある経済活動に伴う被害が発生しても、自然にそれを最小化させてしまうと仕組みを予め用意しておくのです。
具体的にどの経済活動をターゲットにするかは大変な作業になるでしょうが、まずは、想定されやすいもの・・・食品関係や公共事業が適当かもしれませんね。
世の中はますます複雑になります。そして、環境問題は個人に留まらず、集団や地域全体を巻き込んでいきます。これにハードに対応するのではなく、「環境経済学」により、しなやかに解きほぐす手法を用いることで、安心して暮らしていける生活環境を整えることができるのです。