2021年4月19日(月)
エディカです。
新型コロナウイルス感染症が国内に入って2回目の新学期ね。気持ちが落ち着かない学生さんも多いと思うけれど、こういう時にこそ自分自身を見失わないで。むしろ、チャンスと捉えるべき。困難に遭いながら人としての「幅」を広げていくことでぐんと成長できるものよ。「若い時の苦労は買ってでもせよ」ね。
現代は「正しい答え」がはっきりしない世界。でも、これまでの日本の教育は「忖度」の技能であって、過去に経験のない事態への対処能力じゃない。だから、模範解答が存在しない課題は先送りしてしまいがち。今回の新型コロナウイルス感染症対策だって後で振り返ると「こうすればよかった」って思うことになるのかも。(上岡直見「新型コロナ禍の交通」緑風出版)
だからこそ頼れるのは自分・・・その「幅」よ。問題解決能力が高い人は多様な領域を自分のものにしているわ。それこそ関係なさそうな知識や概念を用いて「正しい答え」を導き出すの。
かのナポレオンは戦争中の食料確保のため食品保存研究について懸賞を出したの。科学者たちが失敗を続ける中、成功したのはニコラ・アペールというパリの美食家兼菓子職人。アペールは、菓子、ワイン、ビールの製造からレストランのシェフまでそれこそ何でもこなしていたの。そして、こうした経験を元に、シャンパンボトルに食品を入れて、栓をして沸騰した湯の中に入れておくというシンプルな方法で食品保存に成功したの。今でいう「瓶詰め」ね。もっともこの技術は敵であるイギリス軍にも渡ってナポレオンは負けることになるのだけれど・・・。
(デイビッド・エプスタイン「RANGE」日経BP)
こうした思考習慣はすぐに身に付けられるものではないわ。様々な分野で経験を積むことによって培われるの。まず学校でしっかり基礎教育を学んだ上で、大学活動や社会の中で困難に立ち向かっていくことが大事よ。
よく、「学校の勉強は社会で役に立たない」って言われるけれど、とんでもない誤解ね。確かに学校で教わるのは、先生も教えやすい「正しい答え」のある問題ばかりだから、そういう経験を積み重ねていると、世の中の問題には全て「正しい答え」があると錯覚してしまうわね。だからと言って、学校の勉強を否定する必要はないわ。学校の勉強は社会で生きていくための基礎・・・「答え」のない問題を考えるのにも役立つものよ。大事なのは、基礎をベースにして、自ら「学ぶ」ことよ。
ここで役立つのが「教養」ね。「教養」はこれまで人間が考えてきたことの全て。だから、学校ではとうてい身に付けられないボリュームよ。実社会で生きていく中で、自らが取捨選択しながら獲得していかなくてはならないの。
これまで、「教養」は社会のリーダーに必要な知識とされてきたわ。でも、今の世の中は複雑で不確実さが増している・・・さらに、人口も減っていく。そうなると、一人ひとりが賢くならなければ太刀打ちできないわ。そして、「教養」は人と人との関係の中で相乗効果を生み出し、社会全体が賢くなっていく。「フリン効果」といって、世代が下るにつれてIQが高くなる現象が見られるけど、これもみんなが、「教養」を身に付けて賢くなったおかげかしら。
(橋爪大三郎「人間にとって教養とはなにか」SB新書)
大事なのは焦らないこと。最初に言ったけどスムーズな人生が良いわけではないの。大学で早めに専門を絞り込んだ人は卒業直後は収入が高いけれども、ゆっくり専門を決めた人は、より自分のスキルや性質に合った仕事を見つけられるから、やがて遅れを取り戻すの。研究分野でも、別々の知識を結び付けた研究は発表時は見向きされなくても長期的に大ヒットになる可能性が高いわ。
「教養」を身に付けるためには読書や体験が有効よ。そして、要注意はスマホ。あらゆる知識やツールが詰まった便利な装置ではあるけれども、いつの間にか私たちの脳が操られてしまうわ。スマホに巧妙に組み込まれた仕掛けは、私たちの脳の報酬系を刺激することが証明されているの。おかげで、無意識なんだけれども常にその存在が気になっているし、いざとなれば検索して調べればいいってことで記憶力も低下する・・・必然的に脳の力が落ちるわね。(アンデシュ・ハンセン「スマホ脳」新潮新書)
スマホを脇に置いて、本を読んだり、様々な体験をしてみて。何でもいいわ・・・いくつかの分野にまたがることがポイントよ。そして、実社会では、寄り道・回り道、試行錯誤、実験があっていいという考え方に立つこと。つまり、「よく(学校で)学び、よく(社会で)学べ」ね!こうした姿勢を誰もが当たり前とできる環境が大切よ。
「実践に結びつけるための学びは一時やれば済むというものではない。生涯学んではじめて満足できるレベルとなる」(渋沢栄一「現代語訳 論語と算盤」ちくま新書)