「宗教」がもたらす経済成長。継承者は・・・

2021年5月31日(月)

 コノミです。

 

 緊急事態措置が延長されましたね。この間、ワクチン接種が進められます。東京オリンピックに間に合うのか、神のみぞ知るです。

 ところで、宗教が経済に影響を与えるってご存知ですか?ある研究によると、経済成長への効果は「信じること」と強い相関があるそうです。

 

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 ドイツの社会学マックス・ヴェーバーは、信仰は人間の職業倫理、正直さ、節約等の特性を育てることを通じて経済成長を促すとしました。オーストリア精神分析創始者ジークムント・フロイトの見立ては、人がそこにないものを崇拝できるのなら、象徴的なものについても熟考できるとしました。事柄の「概念化」が経済成長の背中を押したということです。(ロバート・バローら「宗教の経済学」慶應義塾大学出版会)

 

 中でもプロテスタントは典型です。アメリカやドイツなどでその影響力が指摘されています。プロテスタントは、ジャン・カルヴァンが唱えた「予定説」がポイントになります。これは、神の祝福を受ける人は誰かは分からないけれど予め決められている、でも人は自分が神に選ばれる確率を高めるために道徳的に正しい生活を送ることによって「救済の不安」から解放される、という考え方です。こうしてプロテスタントは、禁欲を重視し、勤勉によって得られる利益であれば獲得してもいいと肯定したのです。

 そのプロテスタントキリスト教の一つですが、キリスト教は高利貸しを禁止していました。差別を受けてきたユダヤ人がこれを請け負いました。チャンスが与えられたのです。また、彼らは子どもの頃から聖典や生活規範を集大成した経典を教材に識字率を高めていました。高い人的資本で世界規模の活躍を果たしているのです。このような点でも宗教は経済活動に影響を与えています。(宮崎正勝「10大民族で読み解く世界史の興亡」KAWADE夢新書)

 

 逆に、経済は宗教に影響を及ぼします。日本では高度経済成長に新興宗教の信者が増加しました。経済格差が広がり、恵まれない階層が生み出されたからです(島田裕巳「宗教消滅」SB新書)。やがて、経済発展の恩恵が行き渡ってくると、今度は個人の信仰活動への参加が減っていきます。「世俗化仮説」と呼ばれるものです。

 フランスなどの先進国を中心に「宗教離れ」が指摘されています。経済活動が盛んになると教会に行く時間を割けなくなります。また、経済的な豊かさが得られると、「生活上の不安」が少なくなります。不安解消を図るための信仰活動の理由が無くなるのです。 

 

 ところが今、「生活上の不安」が再び増大しています。リーマンショック以降、世界的に経済成長が減速しています。国内外の格差を利用したグローバリゼーションは行きづまり、再び国内格差の問題が浮かび上がってきました(池上彰的場昭弘「いまこそ『社会主義』」朝日新書)。こうした状況への反動でナショナリズムが台頭し、アメリカやイギリスでは国内の分断が生じることとなりました。

 そして、新型コロナ感染症が「不安」の増大に輪をかけています。中国のように国家統制が感染拡大防止に成功しているという見方がなされる反面、民主主義そのものに疑問符が付き始めました。これまで当たり前のこととして受け止められていた価値観が揺さぶられているのです。

 

 人は何かを信じて生きなければならない生き物です。これまでは、宗教が「拠り所」としてその役割を果たしてきました。でも、宗教を追いやった現代経済は皮肉にもカオス状態を創り出し、「信じるべきもの」の登場が切望されています。

 そうはいっても、「宗教離れ」の流れが反転化することは考えにくいでしょう。地域や家族といった共同体に基盤を置く伝統的宗教であればなおさらです。たとえ、これから宗教を「拠り所」にする人が増えたとしても、それは、個人単位で終わるでしょう。また、宗教とは言わないまでも、よく似たイデオロギー的なものかもしれません。

 そうすると、今、国家に求められるのは、これらに代わる「拠り所」としての存在です。財政が厳しいからといって「自助」頼みとするような制度設計は禁物です。たとえ負担をより求めることになるとしても、国民から信頼されるようなサービス提供を心掛けるべきです。

 また、個人の「不安」を解消させるあらゆる取組が必要となります。行政機構はもっと人の「心理」を学んで対応すべきです。透明性を確保し、生活に関する情報をできる限り詳細かつ分かりやすく、迅速に発信していかなくてはなりません。併せて、公認心理師などの専門職を活用して、心理的不安に応えられる相談体制を整備することが重要です。

 こうした取組を通じて生まれる「信頼」や「安心感」が、新たな経済活動を促すことになります。これからは、「宗教」に代わって「国家」が人々の不安を受け止めていくという覚悟が求められています。