お金には換えられません?いえ、あなたの「命の値段」は〇✕円です。

2021年8月2日(月)

 コノミです。

 

 新型コロナウイルス感染症の拡大が止まりません。ついに、新規感染者数が1万人を超えちゃいました。死亡率が低いこと、ワクチン接種が進められていることが私たちの脇を甘くしています。

 私たちは幾度となく、「命か経済か」という命題をつきつけられました。こうした議論にあっても、「命」の値踏みがなされる可能性はあります。昨年支給された特別定額給付金でいうと、当初、困窮者に30万円支給するとしていましたが、最終的に全員に10万円支給となりました。命の「公平」が演出されたのです。分かりやすい反面、効果はすごく低くなります。貯金に回した方も多いことでしょう。 

 

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 ワクチン接種の優先順位をめぐる議論を覚えていますか?日本は、医療従事者に次いで、高齢者や合併症を有する方を優先しました。死亡者数を減らすことを優先したのですね。一方で、感染拡大を防ぐことを優先して活動的な若者から接種すべきだったという声もあります。ワクチンは感染自体は防ぎませんが、体内のウイルス量を少なくすることによって他者への感染リスクを低下させることができれば、高齢者等の死亡を減らすことにつながります。また、若者の命や経済活動を救うほうが、日本の将来を考えるとより好ましいという考え方もあるでしょう。

 

 このように、命の価値が問われる営みは常に起こり得ます。もちろん、「命はお金に換えられない」と声を大にして言いたいです。でも、現実はそうはいきません。倫理や道徳だけでは議論できないのです。 

 2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件は痛ましい出来事でした。事件後、「9・11犠牲者補償基金」がつくられました。問題はその補償額です。平均額は死者1人につき200万ドルで、最低額が25万ドル、最高額が700万ドル超でした。命の値段に30倍もの開きが生じたのです。金額の算定に当たっては、一律25万ドルに加え、「経済的価値」として犠牲者の存命中の収入を基準に計算された金額が上乗せされました。未成年は当然低いほうに設定されました。女性の平均額は男性の63%に留まりました。こうして大きな差がつくこととなったのです。

 話はここで終わりません。9・11テロ犠牲者の家族にだけ支払うのは不公平だという声が挙がったのです。それまで起きた数々のテロでは政府は何ら補償は行いませんでした。事件のインパクトが命の査定に影響したのです。当時の担当者も頭を抱えたことでしょうが、現実社会では真の「公平」はあり得ず、できる限り「公平」を目指すけれども、「不公平だ!」という非難を覚悟しなければならないのです。(ハワード・スティーブン・フリードマン「命に〈価格〉をつけられるのか」慶應義塾大学出版会)

 

 命が直接係わる医療ではこのようなことは日常茶飯事です。医療資源は希少です。予算にも限りがあります。買い手と売り手がいてオープンな競争市場で取引される商品とは訳が違います。常に誰かが「選ばざるを得ない」のです。

 1960年、慢性の腎臓病患者のために、ワシントン州立大学人工透析器が開発されました。それまで亡くなっていた患者が救われることとなったのです。大学附属病院に導入された透析器は3台でした。問題は治療する患者を誰にするかということでした。

 医学的観点から患者が選ばれましたがさらに絞り込む必要がありました。弁護士などから成る市民委員会に委ねられた結果、治療のため病院近くに引っ越すだけの資産があること、治療後に仕事に復帰できること、社会貢献の可能性が高いこと等が基準となりました。こうして「命の値段」が付けられたのです。その後、批判を受けて同委員会は廃止されることとなりました。(香川知晶「命は誰のものか」ディスカヴァー携書)

 かといって「くじ引き」が公平になるでしょうか?イギリスの倫理学者ジョン・ハリスが提示した「臓器くじ」という思考実験は、臓器提供者をくじ引きで決めるという設定です。自分や大切な人が当たるかもと考えると釈然としないでしょう。(北村良子「論理的思考力を鍛える33の思考実験」彩図社) 

 

 こうした問題に正解はありません。状況に応じて、どういう「考え」の下でどの方法を採るかということに尽きます

 ワクチン接種の優先順位もそうです。でも、もっと国民を巻き込んだ形での議論があっても良かったのではないでしょうか。接種が急がれる中、学識経験者から成る審議会で決定されましたが、1日でも国民から意見を募集して検討の俎上に載せるプロセスがあっても良かったのではないでしょうか。最終決定に対する「不公平だ!」という非難に対し、説明の覚悟ができるからです

 命をお金に換算することは考えたくありません。でも、考えなければならない事態が起きた時にどうするか、私たちなりの「考え」を持っておくことが大切なのです。