あの大恐慌がよみがえる?ヒントは「ナラティブ」にあり!

2021年10月4日(月)

 コノミです。

 

 岸田政権が発足しました。みなさん、期待と不安が入り混じった気持ちで見守っていることでしょう。これらは、新型コロナウイルス感染症対策、そして、経済対策に寄せる思いです。

 緊急事態宣言等事態は解除になりましたが、世界を見ると収まる気がしません。ワクチン接種が進んで日常活動を取り戻している国もありますが、この間の公的資金の投入により、財政事情は厳しい局面を迎えています。

 そして、伸張著しい中国と、悩める大国アメリカという構図は世界に不均衡をもたらしつつあります。1929年のいわゆる大恐慌研究の第一人者キンドルバーガーによると、当時の大恐慌が深刻なものになった理由として、世界経済における「リーダー不在」を挙げています。(玉手義朗「大恐慌の勝者たち」日経BP

 世界は再び大恐慌を迎えることになるのでしょうか?今は順調に見える日本の株価も暴落するのでしょうか

 ヒントは「ナラティブ」にあります。「ナラティブ」とは、ある社会、時代などについての説明や正当化を行う記述のための物語や表象とされています(ロバート・J・シラー「ナラティブ経済学」東洋経済新報社)。つまりは、「噂」や「物語」です。

 「ナラティブ」の怖いところは、それこそ感染症のように一気に広がり、経済に大きな影響を与えることです。代表例として、日本で発生した昭和金融恐慌が挙げられます。1927年、大蔵大臣が「東京渡辺銀行が破綻した」と誤って発表したところ、預金を引き出そうと全国規模の取り付け騒ぎに発展し、銀行が連鎖倒産することとなったのです。そもそも大臣の発言は重いのですが、それだけでパニックになるとは思えません。伏線として、第一次世界大戦後の軍需バブルがはじけ、既に経済が混乱していた点が指摘できます。人々が抱いていた不安が「ナラティブ」となっていたところに「銀行破綻」という「ナラティブ」が加わり、共鳴を起こしたのでしょう。

 こうしたことは私たちも体験済みです。新型コロナウイルス感染症が拡大した当初に起こった「トイレットペーパー騒動」がそうです。マスクと同じ原料だから買いだめしておけというSNS上のデマが拡散し、店頭からマスクやトイレットペーパーが無くなったのです。パニック買いは小麦粉等にも波及しました。これも立派な「ナラティブ」です。

 

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 未知の病気である新型コロナウイルス感染症は、他にも様々な「ナラティブ」を生み出しました。典型例は「42万人死亡」です。2020年4月、西浦博北海道大教授(当時)が、人との接触「8割減」を強く要請し、外出自粛などの対策を何も行わなかった場合、約85万人が重篤な状態となり、半数の約42万人が死亡するとの試算を発表しました。同教授が「8割おじさん」と呼ばれたことも、かえって一般受けすることとなり、「ナラティブ」が持つ破壊力を一層強化しました。

 そして、この「ナラティブ」を政府が受け継ぎます。それが、緊急事態宣言や「8割自粛」要請です。これらが与えるメッセージによって、マスク警察など他者に対するバッシングまで生まれました。日頃の不満や不安が溜まっているために起きてしまうのです。(藤井聡木村盛世「ゼロコロナという病」産経セレクト)

 

 日本経済は危機にありますバブル崩壊後30年を経て、見通しは明るくないどころか、「日本化」という言葉に象徴されるように、少子高齢化、累積赤字が経済成長の重しとなっています。異次元緩和も出口を見失い、今後の舵取り次第では難破しかねません。非正規雇用者数が増え、若者の不安や不満も増しています。山田太郎参議院議員SNSで募集したアンケートによると、自殺の権利を求める声まであったそうです。(橘玲「無理ゲー社会」小学館新書)

 そうです。いつ日本に大恐慌が到来してもおかしくない状態なのです。そして、こうした場面にうってつけの「ナラティブ」が登場することを警戒しなくてはなりません。ありそうなのは、「東京オリ・パラが終わり、景気が後退する」、「『FIRE』で若者も投資に走ってバブルが膨らみ、いずれはじける」といったところでしょうか。そもそも人の脳は「物語」を楽しむものです。フェイクニュースであっても、脳がその情報をチェックし続けることは困難なため、本音では勘ぐっていても話を広めてしまうのです。

 対策は、一にも二にも国民の「不安」を解消することです。前回紹介したように、人の「心理」を学んで対応することです。その一環として、世の中に出回っている「ナラティブ」の追跡調査・分析を行い、内容が破滅的なものであれば、「反論ナラティブ」を展開することです。もちろんそれは、データに裏付けられ、かつ、「安心」を提供するものでなくてはなりません。大恐慌の正体は私たちの「不安」です。必要なのは自らを乗り越えることなのです。