「決められない」日本人気質が経済再生を阻む!

2022年4月11日(月)

 コノミです。

 

 新型コロナウイルス・オミクロン株の破壊力は侮れません。東京都の感染者数ピークは2万3千人に達し、濃厚接触者は79万人と見積もられました。これは都民の「17人に1人」となるそうです(Asahi Shimbun Weekly AERA 2022.2.14)。リバウンドの兆候が見られる中、今後、この数値を上回る可能性だってあります。

 そんな中、不思議に思ったのは、「濃厚接触者かどうか保健所に早く決めて欲しい」という声が多かったことです。どうやら、「濃厚接触者じゃありません」と言って欲しかったみたいです。濃厚接触者と認定されると職場に行けません。学級閉鎖を考えなくてはなりません。みんな、濃厚接触者がどういうケースか何となく知っているはずですが、周りの目が気になって、自分では勝手に決められず、第三者に決めて欲しいのです。この「決められない」背景に、日本社会の根深い問題があります。これからの日本の経済再生を阻む要因でもあります

 

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 日本社会は前近代的ムラ社会から脱却できていませんムラ社会では人間関係は上下関係で成り立っています。経験や伝統が重視されるのです。そこでは科学的な合理性ではなく、情緒や個人的な利益によって意思決定がなされます。失敗が許されず、緻密な生産管理が必要とされる水稲文化が、集団や組織を重視する日本人のメンタリティーに大きな影響を与えたと考えられます。(塚谷泰生ら「ふしぎな日本人」ちくま新書

 ムラでは、「あれもするな」、「これもするな」と若者たちに従順さを強要し、その活力を抑え込みます。周囲と異なる主張をすると村八分にされます。ましてや政治の話はタブー視されています。選挙権は18歳以上に引き下げられましたが、若者の投票率が上がらないのも仕方ありません。こうなってくると、自分の意見が言えず、自分で決める力が失われていき、ついには自らのアイデンティティーでさえ第三者に依存することになってしまいます。副作用はイレギュラーな事態への対処が苦手になることです。新型コロナ対応はその典型でしょう。(花房尚作「田舎はいやらしい」光文社新書

 こうした社会では、権威のある者は地位を得ると、守りに入ります。彼らにとって、現状維持が一番で、変えようとする者の足を引っ張ります。「スパイト行動」といって、自分の利益が減ってでも相手を陥れようとする行動がありますが、これは日本人に顕著らしいです。この足を引っ張る行動が「恐れ」を生み出し、組織に秩序をもたらします。こうして完成された「雰囲気」や「空気」による支配のメカニズムは、どこまでもエスカレートします。科学的事実を根拠にする営みとは別世界です。必然的に学校教育も抑圧的なものになります。そうしておかないと、社会に出た時に、この支配メカニズムに耐えられなくなるからです。実際、多くの企業が、社員の「日本人らしさ」を重んじています。(加谷圭一「国民の底意地の悪さが、日本経済低迷の元凶」幻冬舎新書)(クーリエ・ジャポン「不思議の国ニッポン」講談社現代新書

 

 日本が経済再生を果たすための鍵は「イノベーション」です。でも、社会の雰囲気が暗く、新しい技術やビジネスにネガティブなところではイノベーションは活発になりません。また、足の引っ張り合いが絶えないため、多くの人が他人を信用していません。相手を信用できないことによって生じる経済的コストは膨大です。例えば、信用をより確実にするため、新規参入の余地が無いくらいガチガチの取引系列を作り上げます。そこから得られる利益は微々たるものです。これはコストでしかありません。加えて、経済再生には個人消費の活性化も必要となります。個人消費には前向きなマインドが求められますが、不寛容で抑圧的な風潮が「待った」をかけています

 

 今、必要なのは「謙虚さ」と「寛容さ」です。日本人は自国の技術を過大評価し、逆に他国の新しい技術を過小評価する傾向にあります。集団主義がうまく当てはまったこれまでの成功体験が日本列島全体に染みついているのです。でも、もともと日本は外国の良いところを謙虚に採り入れてきました。これから世界と渡り合うのであれば、経験知やプライドは懐にそっとしまっておいて、世界の動きを見ること、聴くこと、学ぶことをやり直すのです。外国人を受け入れることで、多様性を受け入れる訓練をすることも必要です。

 また、若者の声にもっと耳を傾けることです。徐々にですが個人主義が浸透しつつあります。加えて、新型コロナの感染拡大は革命的な出来事でした。もはや若者たちの価値観は親の世代とは違うと考えてよいでしょう。その声を頭ごなしに否定せず、真摯に受け止めるのです。こうした姿勢を各人が持つことによって初めて、自ら「決める」ことができる社会が作られていくのです。