現代サバイバル術のヒントは「動物行動学」にあり!

2023年1月23日(月)

 エンヴィです。

 

 大河ドラマ『どうする家康』は第3話まで進みました。徳川家康を漢字一文字で表現すると、「忍」や「耐」といったところでしょうか。戦場では才能のきらめきを見せることはなかった家康ですが、とにかく我慢に我慢を重ねて、最後に天下をモノにします。(本郷和人徳川家康という人」河出新書

NHK『どうする家康』

 この「耐える」という行動は、ヒトにとって生存・繁殖がうまくいくよう進化する中で培われた能力です。辛さや苦しみを感じることはストレスでしかなく、生きていく上で不要に思えます。でも、そうではありません。辛さや苦しみを感じることは周囲への警戒や注意を促します。そして、これらを乗り越えること、つまり「耐えること」は生存・繁殖のチャンスをもたらすのです。

 ナタージャックヒキガエルというカエルのメスは、最も大きな鳴き声を出すオスに惹きつけられます。体の小さいオスは不利です。どうするでしょう?答えは、求愛中のオスの近くで静かに待つことです。そして、惹きつけられてやって来たメスをさっと横取りするのです。

 

 いきなり、動物の例を出しました。動物の行動は、僕たちがよりよく生きていくためのヒントを与えてくれます。参考になるのが「動物行動学」です。この分野の創設に大きく貢献し、1973年のノーベル生理学・医学賞を受賞した研究の一つが、有名なミツバチの「8の字」ダンスです。ミツバチが良い蜜を出す花の位置を仲間に知らせるため、独特のダンスをすることを発見したのです。

 ミツバチの社会性はびっくりするほどユニークです。セイヨウミツバチは集団が大きくなると新女王たちを巣に残して、旧女王たちが新しい巣を目指して移動します。その時、偵察バチは候補地を見つけると、仲間のところに戻ってきてダンスで「お知らせ」します。他の偵察バチたちも別の候補地を見つけて「お知らせ」します。さて、どうするでしょう?多数決で決めるんです。仲間のハチたちが候補地を見に行き、戻ってきて同じダンスを踊るのです。その数が多いほうが新しい巣になるのです。(女王の)帝国主義じゃなく、民主主義なんですね~。

 動物の記憶力、管理能力にも驚かされます。ハイイロホシガラスという鳥は、冬に備えて、食料となる種子を集めて貯蔵します。それも1か所ではなく、3000か所に3~4個ずつ、合計3万個以上もの種子を隠すのです。他の動物に発見されて盗まれるリスクを減らすのです。預貯金を複数の銀行に預けてそれぞれに異なるパスワードで管理するみたいなものですが、ケタが違います。さらに凄いことに、ハイイロホシガラスは最長10か月も隠した場所を覚えています。

 教育行動をとる動物もいます。ミーアキャットはサソリの扱い方を子どもに教えます。最初は死んだサソリを子どもに与え、子どもが少し大きくなると、毒針を取り除いた生きたサソリを与え、最後に毒針のある生きたサソリを与えます。ステップアップ学習です。(トリストラム・D・ワイアット「基礎からわかる動物行動学」NEWTON PRESS)

 

 動物の行動はヒトの行動にも応用できそうですが、気をつけなくちゃいけないのは、僕たちが動物の心を理解しようとする時、ヒト目線で考えてしまいがちなことです。あくまでも、動物はそれぞれの種に固有の、生存・繁殖がうまくいくような「認知世界」を持っているに過ぎないのです。学ぶにしても、この点は注意が必要です。

 そして、僕たちヒトも、独自の「認知世界」の下で進化してきました。でも、やってしまいがちなのが、現代の感覚で人の行動を理解しようとすることです。僕たちの本質は狩猟採集時代のままです。自然の中で100人程度の集団で狩猟採集を行う生活に適応しているかどうかという観点で捉えるくらいがちょうどいいのです。例えば、ヒトは色の中で、緑色に最も反応します。これは、緑色が示す植物は、食べ物や水の存在場所、隠れる場所として、また、草食動物がいる可能性が高い場所として、ヒトにとって重要な意味を持つからです。(小林朋道「苦しいとき脳に効く動物行動学」菊池書館)

 

 現代社会は一気に形成されたものです。人を見る視点を現代から狩猟採集時代にずらすべきです。当時はそれこそ獲物となる動物たちの行動をよく観察してきたことでしょう。その中から、サバイバル術を学んだはずです。改めて動物の行動に注目しましょう。そのためには、生物多様性が重要な意味を帯びてきます

 生物多様性保全すべき理由に、ヒトにとっての使用価値や模倣技術が挙げられます。これらに加え、ここまで生き残ってきた動物たちであるという現実に思いを致すことが大事です。そして、学ぶ対象はたくさん存在するべきです。今、動物の多様性が脅かされています。共生を目指さなくてはなりません。『どうする僕たち』なのです。