2024年12月23日(月)
ソシエッタです。
この冬、ミステリーでも読みませんか?おススメは、五十嵐律人氏の『法廷遊戯』です。映画にもなっています。あっと驚く結末はお約束ですが、ロースクールの准教授と学生たちとのやりとりが印象的です。
「冤罪(えんざい)と無罪の違いはわかるか?」
「有罪か無罪かは裁判官が決めますが、冤罪かどうかは神様しか知りません」
「面白い答えだ」「だからこそ、神に代わって判断を求められる裁判官は、慎重に判断せざるを得ないんだよ」
10月9日、袴田巌さんの無罪が確定しました。1966年、静岡県清水市で起きた一家4人の殺害事件の被告人として扱われる中、袴田さんは一貫して冤罪を主張し、戦後5件目となる再審公判を経て実現しました。事件発生から1年2か月後に証拠として発見された衣類が捏造(ねつぞう)の可能性ありとされたことが決め手でした。
この間、60年近くもの長い年月を要しました。この時間は戻りません。何より、袴田さんは「拘禁反応」により、普通に話をすることができなくなっています。死刑の恐怖にさらされ続け、心がむしばまれてしまったのです。(尾形誠規「袴田事件を裁いた男」朝日新聞出版)
冤罪は被告人とその周囲の人たちの人生を狂わせます。無くさなくてはなりません。変えるべきは捜査と裁判官のあり方です。
日本で起訴された事件の有罪率は99.9%です。高すぎます。「疑わしき」を罰している可能性があります。特色は「調書」にあります。23日間あるいはそれ以上もの長い間、被疑者の身柄を拘束し、連日、長時間にわたって取調べを行うのです。誰もが不安定な心理状態に置かれ、虚偽の自白をする確率が高まります。
そして、検察官の言いなりになって、逮捕状、勾留状を発付し、被告人を接見禁止処分とし、保釈を認めないのは裁判官です。職業裁判官は「有罪への流れ作業」に身を委ねます。裁判官の人事で考慮される要素に事件処理数があります。もし、無罪の判決書を書くとなると、上級審でひっくり返されないよう、詳細かつ緻密に書かなくてはなりません。これでは数をこなせません。「有罪」とするのが楽であり、出世が早くなるのです。(今村核「冤罪と裁判」講談社現代新書)
捜査の不透明性を無くすべきです。全ての過程を録音等により記録し、弁護人に開示するのです。裁判も書面中心から公判中心にして、幅広い証拠開示を認めるようにします。さらに、裁判官1人当たりの処理数を減らし、判断の「質」を考課する仕組みにしなくてはなりません。
袴田さんの姉、秀子さんの言葉が胸を打ちます。「私は巌だけが助かればいいとは思っていません。再審で苦しんでいる方、皆さんに助かっていただきたい。」
冤罪は誰にでも起こりえます。もし、裁判員制度に関わることがあれば、「疑わしきは被告人の利益に」という原則を思い起こして下さい。