人は本当に「科学」を理解できるのか?科学だけに頼らない「伝え方」を手に入れよう!

2019年7月8日(月)

 エディカです。

 

 今年もSF映画の大作が目白押しね。スターウォーズターミネータースパイダーマンとシリーズものが多いようだけど・・・。地球は青くて丸いとか、恐竜の時代に人類は住んでいなかったとか、映像を通して半ば肌感覚になってるわ。

 でも、リアルに科学的事実を伝えていくとなると「壁」があるわね。

 

 人は何かを決める時、科学的な知識に頼ることは少ないらしいわ。むしろ、仲間の意見や自分の価値観に引っ張られるの。知識が無いなら知識をつければよい、という単純な問題ではないのよ。しかも、エール大学のカハン教授によると、人は自分の主義主張に合う知識をより吸収する傾向にあるそうよ。こうして、考え方がますます強化されちゃうの。

 

 また、「知識」と「理解」も異なるわ。人間の脳は太古の昔からそんなに進化しているわけではない・・・。複雑な仕組みを理解することは脳にとって大変なストレスよ。だから、簡単なメッセージが好まれるの

 小泉純一郎元首相の「ワンフレーズ・ポリティクス」は有名ね。「自民党をぶっ壊す!」とか・・・。怒りなどの感情に任せることも有効な手だわ。トランプ大統領の言動は波紋を呼ぶんだけれども注目を浴びているし・・・・。

 直感に訴えることが受け容れられることも事実ね。(三井誠「ルポ 人は科学が苦手」光文社新書

 

 現代のように科学が発達するまでは、宗教が人間社会の中で大きな役割を果たしていたわ。秩序を維持して大規模な協力体制を組織する絶対的な存在だったの。そして、確かに直感的に受け容れやすいところがあるわね。(ユヴァル・ノア・ハラリ「ホモ・デウス河出書房新社

 一方で科学は相対的なものよ。新しい知見が得られれば真実とされていたものが変わっていく可能性があるわ。ニュートンが「絶対空間」という不動の基準を作ったけどアインシュタイン相対性理論でこれを覆したわ。こんなふうに永遠に絶対的な存在でないためか、宗教に比べると少し分が悪いのかも・・・。(小山慶太「<どんでん返し>の科学史中公新書) 

 

 科学的事実が正しく伝わるためには情報の受け手の姿勢が大事よ。具体的な話(地球は平らである。人類は類人猿から進化したのではない。)となるとすでに家庭や友達の影響を大きく受けていて、考え方を変えることは難しかったりするわ。

 

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 そこで提案よ。「超」基本的な考え方を教育の中で採り入れていってはどう。例えば、数字の取り扱い。実際に大小を比較すること、割り算をして割合で見ること、こうした簡単な手技で真実を把握できるんだって、認識してもらうの。

 人間の本能を分析して、これに左右されない意識をもってもらうことも有効よ。人はものごとのネガティブな面に気づきやすいから、合わせてポジティブな面も考えてみようとか、ドラマティックなものの見方に憧れやすいから、地味でゆっくりと変わっていくことをむしろ評価しようとか、こうした意識付けをみんなで行っていくことが大切よ。(ハンス・ロスリングら「FACTFULNESS」日経BP社)

 

 特に、科学のように複雑なものをうまく伝えるには、単に分かりやすい言葉に言い換えるだけではなく、「熱意」をもって「感覚」に訴えるよう説明することよ(カーマイン・ガロ「伝え方大全」日経BP)。

 例えば、高エネルギー放射線を使ってじゃがいもの発芽を防止する「食品照射」があるわ。「放射線」とか「照射」って聞くと「放射能」を帯びるんじゃない?って不安に思うわ。でも、「太陽光が窓ガラスを透過するようなものよ」と説明すると受け容れられやすくなるの。日常生活からイメージしやすい表現を使って感覚的に分かってもらう例ね(スティーブン・スローマンら「知ってるつもり 無知の科学」早川書房)。

 

 情報の伝え手をサポートすることも重要よ。かつて日本では所得倍増計画によって大学理工学部の学生定員が大幅に増えたわ。科学技術立国を目指したわけね。その後、科学の対象も複雑化し、膨大な情報処理が必要となっている。とてもコミュニケーションの方法を学ぶどころではないのでしょうね。そして、研究者は研究論文でもって評価される・・・。コミュニケーションに力を入れる研究者は評価されないの。(隠岐さや香「文系と理系はなぜ分かれたのか」星海社新書)

 それから、一握りの研究者の所業が科学不信を生んだことを忘れちゃだめよね。STAP細胞騒動は記憶に新しいわ。科学者は、明白な成果や成功に対して報酬を提供するしくみの中で働いているから、道を踏み外すケースもあるわ。(ウイリアム・ブロードら「背信の科学者たち」講談社ブルーバックス

 だから、科学者を、研究成果一辺倒ではなく、社会とのコミュニケーションに対する貢献の観点からも評価するしくみを整えることが大切よ。 

  

  さっきも触れたけど、近代は科学と宗教による闘いがあった一方で、科学が宗教の助けを借りながら実用的な制度を生み出していったわ。とすれば、現代社会において、科学が他の分野(社会心理学など)や他の側面(教育、研究者評価など)の力を借りながら事実を伝えていく新しい方法を模索することがカギになるわね