2019年8月12日(月)
ハルです。
日本の生命科学研究が岐路に立たされています。
昨年、本庶佑・京都大学特別教授がノーベル医学生理学賞を受賞しました。大変嬉しいニュースでしたが、そのことで皮肉にも企業と大学との「産学連携」に黄色信号が灯りました。本庶教授が、自身の研究成果を基にがん治療薬「オプジーボ」を開発した小野薬品からの対価が十分でないと訴えたのです。
ここでは本件の詳細には触れませんが、今回のことをきっかけに、研究者が生涯をかけて画期的な研究をしようというモチベーションが低下するおそれがあります。企業側もコストを恐れて「産学連携」を進めようとしなくなります。
果たして、今後日本において画期的な医薬品開発につながるような研究を進めていくことができるのでしょうか?
日本のような成熟した国においてさらなる経済成長を目指すには、研究開発を進めて次々にイノベーションを起こすことが大切です。
論文数が多い国はGDPが大きく労働生産性も高くなります。そして、論文数を増やすには、研究者を確保する必要があり、そのためには十分な研究資金が求められます。(豊田長康「科学立国の危機」東洋経済新報社)
しかし、国の財政状況が厳しくなる中、大学の研究体制にしわ寄せがきています。特に国立大学は法人化により運営費補助金が毎年一律1%削減されることとなり、経営環境が厳しくなっています。このため、研究に十分な予算を充てられなくなっています。
2015年10月、タイムズ・ハイヤー・エデュケーション(THE)社の世界大学ランキング上位200位に入った日本の大学は、東京大学と京都大学だけでした。こうなると、東大と京大以外の大学は世界で戦えるだけの研究能力が無いものと見られても仕方ありません。関係者に与えた衝撃の大きさは計り知れないでしょう。
早急に全国の大学の底上げを図ることが必要です。産業界では、中小企業のイノベーション実現割合が高いほどGDPも大きくなるという相関関係があります。つまり、「すそ野」を広げることが大事なのです。研究分野でも同じことが言えるでしょう。
加えて、がん治療薬開発のような「生命科学」に関する研究は「偶然性」の高い分野です。なるべく広く、多様性を維持しながら研究を進めていくことが重要です。
今の政府は性急なリターンを求める研究投資を行い続けていますが、生命科学は物理・化学分野のように将来予測がある程度可能な分野とは違う、ということを認識しなくてはなりません。(本庶佑「がん免疫療法とは何か」岩波新書)
ノーベル賞を受賞した下村脩・ボストン大学名誉教授は、アメリカ西海岸に生息するクラゲから緑色に光る蛍光たんぱく質を抽出しました。この時も、偶然、クラゲからの抽出液を海水が付着した流しに捨てたところ、猛烈に発光したことがきっかけとなりました。今やこの物質は、医療の現場でがんの転移を追跡するのに使われています。(最相葉月「理系という生き方」ポプラ新書)
アメリカのベンター研究所というところでは、20年という歳月と約4000万ドル以上もの資金をかけて、自ら分裂・増殖を行う「人工生命体」を2016年に作製しました。(須田桃子「合成生物学の衝撃」文藝春秋)
このように、生き物を相手にする研究は一筋縄ではいかないのです。
今こそ、政府が主導して生命科学研究の「基本戦略」を打ち立てるべきです。
1980年代は日米貿易摩擦を背景に「科学技術立国」が叫ばれ、1990年代以降から科学技術基本計画の下で5か年ずつ30兆円ほどが自然科学・技術に投入されるようになりました。この時は、日本の基礎科学は何度もノーベル賞を取るような水準に達していたのです。(隠岐さや香「文系と理系はなぜ分かれたのか」星海社新書)
時代が下って、2015年に日本医療研究開発機構(AMED)が設置されました。関係省庁の持つ研究資金を統括したのですが、やはり成果を求め過ぎる「出口志向」から抜けられないようです。基礎的で多様な分野を総合的にみていく体制づくりが必要です。
具体的には、国立大学の運営費補助金の一律削減という方針を変更すべきです。そして、ある程度の「選択と集中」を図りながら、全国で15~20か所くらいの「生命科学研究拠点」を定め、全国的に生命科学研究を推進するのです。その際には、基礎研究と臨床研究が同一の拠点で進められることが望ましいです。
「産学連携」に話を戻すと、企業も大学などの研究体制をシビアに見ています。企業が安心して連携の手を差し伸べてくれるよう、研究体制の充実を図ることが大事です。そうすることによって、研究者にとって、生涯をかけてまで研究できるという保証が「見える化」します。優秀な頭脳を国内に止めておくことができるのです。
小野薬品のオプジーボは今、臨床現場で活躍中です。第二、第三のオプジーボが生まれ、がん治療が進展するとともに、経済成長を果たすという一石二鳥作戦は決して夢物語ではないでしょう。