2019年12月23日(月)
ソシエッタです。
今年もあっという間に年末です。クリスマス、正月を控え、子どもたちにとってはウキウキするシーズンでしょう。どんな子どもにも楽しく過ごして欲しいものです。
最近、書店で発達障害に関する書籍をよく見かけます。発達障害者は1割前後いるとされています。子どもだけではありません。普通学級に在籍し、そのまま高校、大学と進み社会に出る場合もあります。大人にもいるのです。
問題は、いともたやすく「発達障害」のレッテルを貼ってしまうことです。ここに、大きな落とし穴があります。
私たちは、時に「困った人たち」を言葉でひとくくりにします。「モンスター〇〇」やが典型例です。「〇〇」には、「ペアレンツ」「カスタマー」「社員」と場面に応じた言葉を当てはめることができ、応用幅が広いです。
こうした人たちの中には本当に発達障害と診断される方もいるでしょう。また、発達障害とは違いますが「パーソナリティ障害」と診断されるかもしれません。これは「性格のかたより」と言えるもので、「自己中心的でつねに注目されたい」などいくつかパターンがあります。
さて、発達障害についてです。発達障害はいわゆる「ちょっと変わった子(大人)」と表現されます。症状は、「落ち着きがない」、「感情が不安定」、「空気が読めない」、などが挙げられます。分類すると以下のとおりです。
①注意欠陥・多動性障害(ADHD)
②広範性発達障害(PDD)・・・自閉症、アスペルガー症候群(AS)など
③学習障害(LD)
④知的障害(精神発達遅滞)
⑤発達性協調運動障害
など
でも、ご自身のことを考えてみて下さい。いつもではなくても、落ち着きを失う時や注意が散漫になる時はあるでしょう。衝動に駆られてついたくさん買い物をしたり、人に対して攻撃的になったり、空気が読めなかったなあと反省したりすることもあるのではないでしょうか?
発達障害や先に挙げたパーソナリティ障害は「通常」との区別が難しいのです。裏を返せば、「通常」というものを極めて限定的に考え、ちょっとでもはみ出すような人に対して貼りやすい「レッテル」になり得てしまうということなのです。これはとても危険です。下手をすると、すぐに変人扱い、病人扱いとされてしまいます。
日本は歴史的にとても均質な国です。このため、多様性を受け容れることが苦手です。空気を読んで、同じ行動、同じ格好をすることを求め、安心します。しかし、それではこれからの世の中では太刀打ちできません。むしろ、多様性を受け容れることを全員が意識して、「寛容な社会」づくりを目指さなくてはなりません。
しかも、こうした境界線に位置する人たちの中には、「大天才」が隠れているかもしれないのです。ドイツの精神科医アイヒバウムが数百人の天才について検討したところ、精神病に罹患した人が12~13%いたそうです。
実際、過去の天才とされた人たちの中には、発達障害的だったとしか思えないようなエピソードが残されています(岩波明「天才と発達障害」文春新書)。
①アインシュタイン~家族に愛情を傾けず。日頃の身なりにも無頓着。「引きこもりたいという思いが年とともに募っていった」と語っている。
②コナン・ドイル~対人関係が得意とは言えず、しばしば癇癪を起したり、すぐに攻撃的となったりする。記憶力は抜群で犯罪については百科事典なみの知識。
③野口英世~借金魔で返済することはほとんど無し。米国留学の際も当時の婚約者から支度金として受け取った大金を一晩で使い果たしてしまった。
また、危険なことを好む傾向(センセーション・シーキング)が強く、自らの衝動をコントロールするのが不得手なケースも見られます。このため、違法薬物に手を出したりします。芸術関係者に多いとされています。
④エリック・クラプトン~恋愛が成就せずヘロイン中毒に。ヘロインが手に入らない時は、代わりに大量のウォッカを飲みアルコール依存に。ステージで寝そべったまま演奏することも。
⑤ドストエフスキー~ギャンブル依存。ドイツの温泉地で賭博場に出入り。代表作『賭博者』は自身の体験が色濃く反映されている。
犯罪はいただけませんが、もう少しだけ社会に寛容さが欲しいです。そして、「ひょっとしたらすごい天才を発掘できるかも」という期待をもって、教育にも工夫が欲しいです。イスラエルには物理学やプログラミング言語を教える「科学技術幼稚園」があるそうです。アメリカでは積極的に天才を育てる「ギフテッド教育」があるそうです。
日本でもできるはずです。「ちょっと変わった子(成人)」で終わらせるのではなく、人によって得意分野を伸ばし才能を引き出すオプショナルな教育を考えてはいかがでしょう。と同時に、こうしたことに理解を示す家庭づくりや地域づくりが大事です。