閉じていく労働市場!突破できるのか?

2020年10月5日(月)

 レーブだ。

 

 働き方改革が始まって1年半が経った。この間、新型コロナウイルス感染症の拡大もあり、テレワークが推奨されるなどして、図らずも改革を後押しする格好となった。そして、菅首相のリーダーシップにより、デジタル庁新設などデジタル化は一層進んでいく。

 しかし、憂慮すべき点はある。前回、ここではIT産業に搾取される人々の将来に触れた。今回は、こうした時代における労働市場のあり方について記したい。 

 

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カイジ ファイナルゲーム」

 これからの労働市場はデジタル分業(またはクラウドソーシング)が進む。資産構造は、ソフトウエアやデータベースといった無形資産が有形資産の1.5倍の4兆ドル(2017年)にまで膨らんでいる。この構造はさらに強化されていくし、業務形態もこれに引っ張られていくことになる。すなわち、ソフトウエアやデータベースを背景にした、グローバルな分業が進んでいく。

 事実、世界銀行によると、デジタル分業への参加者は、2016年に1億1000万人となっており、内訳は、米国24%、インド22%、フィリピン19%。また、高度なソフトウエア開発の55%をインド人が受注している。

 怖いのは、マッチングシステムが賢くなって活用されることだ。既にアメリカでは、失業率低下につながったと評価されている。今後、様々なジョブマッチングのマーケットが設計されれば、グローバルの世界では失業率など顧みられることなく、むしろ優秀な人材にしか仕事が割り当てられなくなるおそれがある。「世界規模の個人戦」の時代が到来する

 

 このように、労働市場は否応なく国境や企業の垣根を越えて、より生産性を高める方向に動いていく。ひるがえって日本はどうか。米経済学者のロバート・ソロー氏は、情報化を進めても労働生産性がそれほど伸びない現象を「生産性の矛盾」と呼んだ。日本でもスマホの普及をはじめ情報化自体は進められているように見える。一方で、日本の生産性は低い。(日本経済新聞社編「NEO ECONOMY」) 

 一因として、ICT(情報通信技術)が急速に進化し、ビジネス環境が激変する中で、対応に遅れたホワイトカラーの生産性の低さが日本全体の稼ぐ力を失わせていることが挙げられる。そして、こうした変化に労働市場が適正に対応できていない可能性がある。それは、世の中に、「ブルシット・ジョブ」と呼ばれる、労働者本人でさえその存在を正当化しがたいほど、無意味で、不必要な雇用形態が存在することが物語っている。こうした労働はホワイトカラーの仕事に多く、全ての労働の50%をやや上回る程度存在すると見積もられている。(デヴィッド・グレーバー「ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論」岩波書店)  

 

 今後、デジタル化推進と併せて、定型業務が標準化され、アウトソーシングやAIへのシフトが進むだろう。ホワイトカラーは一層不要となり、ギグ・エコノミーが隆盛を誇ることになる。しかし、21世紀のギグ・エコノミーに、同一労働同一賃金、残業時間、正規雇用・非正規雇用という概念は無い。ただひたすらに、成果を出せるかが各個人に問われることになる。(大前研一「新・仕事力」小学館新書)

 

 こうして労働市場はますます閉じていく。これを突破するには、①個人の能力を高めてグローバルな土俵でも戦っていける人材を育成すること、②国内の仕事を見直し、真に必要であるけれども学歴を活かせず、きつい割に給料が低く、人気のない仕事(シット・ジョブ)の市場支援を行うことが必要である。

 ①については教育のあり方を見直すことはもとより、各人が意識を変えて、能力の向上に努めなければならない。そのためには、職業訓練をより実践的なものにしていく必要がある。磨くべき能力として、英語、中国語などの語学力とプログラミング能力が挙げられる。そして、訓練の一環として、実務に就かせて稼得能力を測り、「認証」してもよい。異なる能力を有する複数人によるチーム制を敷いてもよいだろう。人材が整ったら、訓練後の起業やあっせんを支援していく仕組みも重要だ。

 

 ②については、介護、清掃など無くては困る仕事が対象となる。こうした仕事に就く人に対し、ベーシック・インカム的な給与補助制度を設けるべきだ。財源は、毎年、経済対策で注ぎ込まれている公費の振替えと税金で賄う。これによって、経済成長が見込めない日本の「労働市場」が適正化され、働く側のモチベーションも維持できる。

 

 このように、21世紀の労働市場は、必然的に現状に見合った最適化を進めていかなくてはならない。かけるコストにも、「取捨選択」という割り切りが求められる。それは同時に、変わりゆく労働市場を突破できる人についても、「取捨選択」される可能性があることを意味する。