2021年2月15日(月)
エディカよ。
震度6強の東北地震はびっくりしたわ。何についてかって?つい先日、東日本大震災の震源域北側の海底に巨大地震のエネルギーとなる「ひずみ」がたまっているというニュースを聞いたばかりだったからよ。
こんな時に思うの、やっぱり「科学的根拠」って大事ねって・・・。
もちろん、「科学的根拠」を厳格に求め過ぎて身動きがとれなくなるというジレンマもある。新型コロナウイルス感染症について言えば、欧米ではマスクを着用することをとても嫌がった。国際的に権威のあるWHO(世界保健機関)が「明確な根拠が無い」としたものだから、各国が追随してみんなもそれに寄り掛かったのね。(谷本真由美「世界のニュースを日本人は何も知らない2」ワニブックスPLUS新書)
「科学」は、真実かどうかを判別する便利な道具ではなく、真実に近づくための仮説をつくる営みなの。だから、仮にデータが「厳密」に出ていなくても「本質」を押さえた内容ならば傾聴すべきよ。そして、自分自身の「常識」としてセーブしておくべきね。そうすれば、複雑な現代社会でもブレることなく、より適切な生き方を続けていくことができるわ。
もちろん、新しいエビデンスによって「常識」がひっくり返ることもあるわ。でも、「本質」を押さえてさえおけば、「それもあり得るわね」と寛大に受け止めることができる。
例えば「進化論」・・・進化論の本質は「自然淘汰」、つまり、「環境に適応した者が生き残る」ということ。この考え方でさえ、宗教が支配的だった当時は批判が大きかったわ。でも、膨大な観察や解析を経て現在、「遺伝子が生き残りをかけて、その乗り物である生物の生き方を設計している」という形で支持されているの。
ところが、「エピジェネティクス」という考え方が提唱された。これは、環境に適応しようと努力したことがその子に受け継がれるというものよ。キリンが高い樹の葉っぱを食べようと懸命に首を伸ばしたら、その子の首もちょっと長くなって、それが何世代も経て今の長さになったとする考え方ね。
これは、「遺伝子こそがすべて」という「常識」をひっくりかえすものだけれど、「本質」を見ればこれだって立派な「自然淘汰」・・・よ。でも、ひょっとしたら、こうした親の努力が受け継がれることさえも遺伝子にとっては織り込み済みなのかもしれないけど。(矢沢サイエンスオフィス「科学の理論と定理の法則」ONE PUBLISHING)
それから、人間は古くから「不老不死」を求めてきたわ。みんなにとってはそんなこと「不可能」に思えるかしら?でもね。死なない生物が現にいるの。ベニクラゲよ。それから、最後は死ぬんだけれどもそれまでずっと完璧な健康体を維持する動物もいるの。アホウドリなどね。
ピンピンコロリの人生を送ることができれば素晴らしいことだけれど、人間はそのようには設計されていない。だとしたら、老いて死ぬってことには人類という種が生存競争に打ち勝つための何らかの理由があるはずなの。こうした「本質」を捉えた上で、不老不死についてを考えないと、とんでもないことになる気がするわ。「謙虚さ」も必要なのよ。(吉森保「ライフサイエンス」日経BP)
新型コロナウイルスについて振り返ってみると、唾液がエアロゾルになって漂っているのを吸ったり、眼の粘膜に入ったりすることで感染するわけだから、何もしないよりは、マスクやゴーグルを着用することで感染確率を下げるのは「常識」・・・否定する根拠は無いはずよ。
これから日本でも導入されるワクチンで、ある程度は対処できるでしょう。でも、ウイルスだって生き残りをかけてるの。遺伝子変異が大きいとワクチンが通用しない可能性も出てくるわ。だから、過信は禁物。つらいかもしれないけれど、「謙虚」になって当分はマスク着用を心がけてね。
私たちがよりよく生きていくためには、もっと「科学」について学ぶことが大切よ。北欧諸国では「科学的根拠」に基づいたアウトドアでの教育活動が推奨されているわ。スウェーデンでは、毎日2人の子供が森で迷子になっているという現実的な問題をテーマに、子どもたちが森に行って、「木に抱きつくこと」や「地面に直接寝ないこと」で凍死を防ぐことを体感して学ぶの。(川崎一彦ら「みんなの教育 スウェーデンの『人を育てる』国家戦略」ミツイパブリッシング)
このように、様々な場面を使って「科学的思考」を共通言語のように行き渡らせることが大事ね。ついつい、「GoTo キャンペーン」のせいで新型コロナウイルス感染症が拡がったと政府に責任を押し付けがちだけれど、むしろ、私たちの中に巣食う「油断」や「甘え」がそうさせたと捉えるべきね。そう、新型コロナウイルスとの闘いは私たち自身との闘いなのよ。「生き残り」をかけて科学を実践してみて!