世の中からテストを無くしてみたら・・・

2023年5月15日(月)

 エディカです。

 

 連休が終わっだけど新学期は順調かしら。中・高生にとっては「中間テスト」が近づいてピリピリしてる頃ね。でも、この緊張感って必要なのかしら。改めて、テストの必要性を考えてみない

 

 

 今から30年後の日本社会を想像してみて。2050年、日本の人口は1億人ちょっとに減って、GDPは世界第7位に落ちる。中国、インド、アメリカはおろか、インドネシアやブラジルにも追い抜かれるの。

 そうなると、国内での仕事は減るでしょうね。一方で、アイデアイノベーションのグローバルレベルでの潮流は加速するわ。アメリカで2011年に小学校に入学した人の65%は、まだ存在しない仕事に就くと予測されているみたい。

 それなのに、今のままの学校教育で大丈夫かしら。多様性、柔軟性、創造性、協調性が求められているのに、時代遅れの人間になっちゃうわ

 これまで学校教育に求められてきたのは、校則を守れる従順でよく働く労働者の下地づくり。学校は工場を管理する類の人員の造成「工場」だったの。その品質確認はテストによって行われ、「製造物責任」はあくまでも個人に求められる

 おかげで80%の生徒が、自分の価値は学業成績で決まると感じているわ。親のほうも自分が「親ガチャ」のハズレとならないよう、少しでも偏差値の高い学校に子どもを進学させるようとする。(大坪智幸「デタラメ受験戦争」幻冬舎

 

 でも、ITの進歩によって、学校で教師から「知識」を学ぶ意義は小さくなった。将来「AI労働者」が生まれたら、「規格」労働者はただのコストよ。

 これからの学校教育で身につけるべきは、最低限の知識とコミュニケーション能力。テストは知識の習得度をチェックするだけで十分。学び方が正しかったかどうかを確認するの。マニアックなクイズなんて要らないの。

 そして、授業にもっと対話やディベートを採り入れるべきね。日本人は自分の考えを述べることに慣れていない。意見の対立が予想される課題であっても、人間関係を壊すことなく円満に話し合えるスキルを身に付けるの。海外の人たちと十二分に渡り合える学びが必要よ。(日野田直彦「東大よりも世界に近い学校」TAC)

 

 加えて、学校を「工場」ではなく「関係性」の場として理解することが大切よ。世の中のどの分野でも、活動のパターンは多様な関係性の上に成り立っている。こうしたプロセスに参加する方法を学ばせるの。

 「じゃあ、どうやって子どもたちを評価すればいいの」という質問に対しての答えは、「個人の学びの記録」よ。ここで言う「学び」は授業だけでなく、子どもたちが自らの学びの中で誇りをもっている、あるいは重要だと考えている作品や課題へのチャレンジも含むものになるわ。スポーツや音楽、図解で表現する、地域の人たちとの共同発表・・・何でもOKよ。こうした軌跡を記録していくの。

 教室ではさぞかし会話が弾むでしょうね。「関係性」も深まる。教師は学びのパートナーとなり、子どもたちが失敗を恐れず取り組めるよう心理的安全性を確保する役に徹するの。(ケネス・J・ガーゲンら「何のためのテスト?」ナカニシヤ出版)

 

 テスト肯定派のラスボスは、高等教育機関の選抜試験ね。ここは思い切って舵を切るべきよ。大学受験なんかで消耗してちゃもったいない。人生の栄光期間にちゃんと輝ける学校教育を考えましょう。