「能力主義」の逆襲!真の平等は訪れるのか?

2021年8月23日(月)

 エディカです。

 

 子どもの新型コロナウイルス感染が増えているわ。政府は夏休み明けに向けてオンライン授業や抗原検査キットの活用など対策をとるみたい。

 受験生にとっても気が気じゃないわ。2か月前に終わった日曜劇場ドラマ「ドラゴン桜」では、学歴の最高峰である東大を目指すという分かりやすい設定が刺激的だったわ。目的をもって頑張ること自体は悪くないけど、怖いのは、知らず知らず「能力主義」が世の中にはびこっていることよ

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日曜劇場『ドラゴン桜

 「能力主義メリトクラシー)」は、イギリスの社会学マイケル・ヤングの造語で、その著書で、個人の「能力」によって地位が決まり、エリートが支配する社会の到来を予言したわ。最後は大衆がエリートを覆すんだけど・・・。

 「能力主義」の世界では、勝者は自らの才能と努力によって成功を勝ちとったと信じる「宿命」にあるわ。「認知バイアス」によって後付けで解釈されるの。でも、本当は、成功も失敗も偶然が大きく関与しているのよ

 こうした社会は分断を生むわ。ちょっとした言い回しの中で、自分より「能力」が低いとされた人を見下し、尊厳を蝕む状況が作り出されてしまう。「努力が足りない」「真面目に勉強してこなかったから」みたいに・・・。そうやって自己責任を問う社会は、他人を責めることで自分の責任をゼロにしようとさえするわ。(西きょうじ「さよなら自己責任」新潮新書

 こうした抑圧の果てに起こったのが、トランプ大統領の当選、イングランドEU離脱、フランスの「黄色いベスト運動」よ。これらには固有の要因があるように見えるけれど根っこは一緒よ。富裕層に搾取されてきた労働者による「一大蜂起」なの。日本だって例外じゃないわ。これから、氷河期世代を中心に追い込まれた人々による反動や犯罪が増えやしないか心配だわ。

 

 問題をややこしくしているのは「能力」の曖昧さよ。「能力って何?」って訊かれてすぐに答えられる?思いつくのは、テストでの成績や学歴よね。でも、「世の中で求められている能力」となると抽象度の高いものが話題になりがち。「コミュニケーション能力」とか「協調性」とか・・・。でも、こうした能力の正確な測定は不可能だから、結局採用されるのは「暫定的な物差し」。テストの成績や学歴などよ。

 だから、能力、能力と声高に言えば言うほど批判の的になるの。しかも、情報ネットワークが拡大して外の世界を知ると、身近な社会で培われた価値観が揺さぶられるわ。「勉強ができることが本当に良いことなのかしら」って。(中村高康「暴走する能力主義ちくま新書

 

 残念なのは、90年代以降、市場主導のグローバリゼーションが受け入れられる一方で、拡大する不平等への取組が十分になされなかったことよ。代わりに、「機会の平等」への期待が高まったわ。そのことが「能力主義」を補強することになるとも知らずに・・・。「大学進学」が典型ね。

 アメリカでは世襲エリートを能力主義エリートに置き換えようと、奨学金に大学進学適性試験(SAT)が導入されたの。学問による「下剋上システム」を目指したのね。ところが、1800の大学を対象にした調査によると、所得規模を下位1/5から上位1/5まで上げることのできた学生はたった2%未満だったの。大学を卒業しても社会的上昇にほとんど影響を与えないの。

 ちょっと考えれば分かることだけど、試験勉強だって結局は経済的に恵まれている人に有利よ。すでに不平等なの。そして、ここでも「自己責任」が顔を覗かせるわ。「学業成績が悪いのはあなたの努力不足でしょう」って・・・。そして、私たちは、自分より恵まれない人の運命を気にかけなくなってしまう。それどころか、高学歴でない人に対する評価を損ねる社会を作ってしまう。そう、「能力主義」は共感性を失わせるの。(マイケル・サンデル「実力も運のうち」早川書房

 

 かと言って、平等を目指したところで、結局は「能力主義」にからめとられるわ。例えば経済格差を税金で補填しようとした場合、どこまでが自身の功績によるものか、どこからが幸運によるものか、厳格な評価が求められるでしょうね。そして、こうした試みは、その人の「能力」を評価することを要求するし、税金で経済補填される人を蔑むきっかけにもなりかねない。先日も人気ユーチューバーによる生活保護者への差別発言が問題になったわね。

 

 今、必要なのは道徳的視点よ。「能力主義」は「暫定的な物差し」しか持てず、学歴などもその延長線でしかないと捉えること、そして、社会の頂点に立った者が、その成功は偶然に過ぎず、他人を思いやる気持ちが大切だと知ることよ。慈善活動が再興していくことが切望されるわ(金澤周作「チャリティの帝国」岩波新書)。こうした視点を教えるのが、「機会の平等」を目指す教育の真のミッションよ。