暗闇の森に迷い込んだ日本の林業

2021年8月30日(月)

 フーディンだよ。

 

 東京オリンピックパラリンピックの報道のせいで影が薄くなったけど、今年も熱海とかで豪雨災害が発生したな~。こんな時に思うんだよな~。地球温暖化の影響もあるんだろうけど、森林伐採による保水力の低下が関係してんじゃないかって。

 2018年度に林野庁が「主伐補助金」っていう補助金を設けたんだけど、これは育った木を全て伐採する「皆伐」を促してるんだな~。せっかく作ってきた「森づくり」をリセットするってことだよ。土壌流出や山崩れを起きやすくしてしまうよ。この国の林業の行く末が見えにくくなっているんだな~。(田中淳夫「絶望の林業」新泉社)

 

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 実は林業は大きな節目を迎えているんだな~。戦後に植林された人工林が50年以上を経過し、その約7割が木材資源として利用可能な状態になっているんだ。そのおかげで、木材自給率は2002年に18.8%にまで落ち込んでいたのが2019年に37.8%と4割近くにまで上昇しているよ。丸太で出荷されるほか、合板材料やバイオマス発電の燃料として大量に使われている。海外輸出も急増中だよ。でも、疑問に思わない?そんなに木を切って大丈夫なのかって。 

 林業が難しいのは、50年以上の長いスパンで、広い視野でもって戦略的に進めていかなくちゃならないってことなんだな~。日本は国土面積の約7割を森林が占める、世界でフィンランドに次いで高い「森林率」を誇る森林王国。しかも、1000種を超える樹木が育つ豊富さを持つよ。でも、人口も多いから、1人当たりの森林面積は約0.2haと世界平均の約0.6haの1/3でしかないんだ。だから、一人が受け取ることのできる森林の恵みはそれほど多くないってことなんだな~。(関岡東生「図解 知識ゼロからの林業入門」家の光協会

 そして、農業と違って、「おじいさんが植えた木を孫が伐る」というほどの時間の長さを考えなくちゃならない世界なんだ。売れるからといってどんどん伐採したら、その分だけちゃんと植林をしないとあっという間に枯渇してしまうよ~。

 

 根本的な点に目を向けると、国の政策の疑問に突き当たるんだな~。木材輸出額は2012年で93億円だったのが、2017年で326億円とわずか5年で3.5倍も増えている。「林業の成長産業化」と持ち上げる気持ちも分からなくはないんだけど、ところが、業界に入る資金は国や自治体の補助金が多いからトータルで見たら赤字なんだな~。そして、補助金のおかげで伐採が進み、輸出とかに向けられているんだけど、輸出の大半を占める丸太は値崩れを起こしているから、金額でみる以上に大量の丸太がどんどん海外に出ていっているんだな~。主な輸出先は中国、フィリピン、韓国だよ。

 しかも、奇妙なのは輸出だけでなく輸入もしていて、さっき言った約4割という「自給率」が示すように、輸入のほうが多いくらいなんだな~。主に米材やヨーロッパ材なんだけど、どうしてだと思う?それは、外材のほうが質が良いからなんだな~。ここが日本の弱点なんだ。丸太の金額は、例えばスギ材だと1本4000円強程度で、「ユ〇ク〇」のシャツでいうと2枚分でしかないよ。半世紀も手間をかけてこの値段と聞くとガクッとくるよね。この状態から流通や製材・加工の過程でコストがかかり、価格が上がっていくんだ。でも、日本の製材工場の生産性は高くないから、角材や板材になった時点で外材と比べて高くなっちゃうんだな~。

 原因の一つは、温暖湿潤な日本の気候だよ。木材はしっかり乾燥させないと出荷後に曲がったり縮んだりするんだ。日本の木材は含水率が200%もあって、少なくとも20%以下にまで頑張って乾燥させなくちゃならない。一方、外材はしっかり乾燥されて輸入されるから使いやすいんだよね~。また、見た目は国産材のほうが良かったとしても、最近の住宅はツー・バイ・フォー方式で建てられていて、柱は不要で壁にはクロスが張られるから、見栄えなんて関係なくなるんだな~。 

 住宅もこれから人口減少の影響を受けて、需要は減るはずだよ。そうなると、宅地造成を進めながら一戸建てを推奨することで木材需要を掘り起こすことが想定されるね。これも補助金がなせる業なんだ。そして、木材の価格は低く抑えられているままだから、量で稼ぐって話にしかならないよ。ついでに言うと、2024年度からは1人1000円の「森林環境税」という形で、おいらたちの負担に跳ね返ってくるんだな~。(白井裕子「森林で日本は蘇る」新潮新書

 

 林業のように、自然という計算できないものを相手にする場合は、経済理論だけでは語れないね。今一度、「量で稼ぐ」林業から「適切に管理する」林業に基本戦略の見直しを行って、不要な補助金は「伐採」して、必要最小限のコストを国民に負担してもらうという「植林」を行うべきなんだな~。

 

「能力主義」の逆襲!真の平等は訪れるのか?

2021年8月23日(月)

 エディカです。

 

 子どもの新型コロナウイルス感染が増えているわ。政府は夏休み明けに向けてオンライン授業や抗原検査キットの活用など対策をとるみたい。

 受験生にとっても気が気じゃないわ。2か月前に終わった日曜劇場ドラマ「ドラゴン桜」では、学歴の最高峰である東大を目指すという分かりやすい設定が刺激的だったわ。目的をもって頑張ること自体は悪くないけど、怖いのは、知らず知らず「能力主義」が世の中にはびこっていることよ

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日曜劇場『ドラゴン桜

 「能力主義メリトクラシー)」は、イギリスの社会学マイケル・ヤングの造語で、その著書で、個人の「能力」によって地位が決まり、エリートが支配する社会の到来を予言したわ。最後は大衆がエリートを覆すんだけど・・・。

 「能力主義」の世界では、勝者は自らの才能と努力によって成功を勝ちとったと信じる「宿命」にあるわ。「認知バイアス」によって後付けで解釈されるの。でも、本当は、成功も失敗も偶然が大きく関与しているのよ

 こうした社会は分断を生むわ。ちょっとした言い回しの中で、自分より「能力」が低いとされた人を見下し、尊厳を蝕む状況が作り出されてしまう。「努力が足りない」「真面目に勉強してこなかったから」みたいに・・・。そうやって自己責任を問う社会は、他人を責めることで自分の責任をゼロにしようとさえするわ。(西きょうじ「さよなら自己責任」新潮新書

 こうした抑圧の果てに起こったのが、トランプ大統領の当選、イングランドEU離脱、フランスの「黄色いベスト運動」よ。これらには固有の要因があるように見えるけれど根っこは一緒よ。富裕層に搾取されてきた労働者による「一大蜂起」なの。日本だって例外じゃないわ。これから、氷河期世代を中心に追い込まれた人々による反動や犯罪が増えやしないか心配だわ。

 

 問題をややこしくしているのは「能力」の曖昧さよ。「能力って何?」って訊かれてすぐに答えられる?思いつくのは、テストでの成績や学歴よね。でも、「世の中で求められている能力」となると抽象度の高いものが話題になりがち。「コミュニケーション能力」とか「協調性」とか・・・。でも、こうした能力の正確な測定は不可能だから、結局採用されるのは「暫定的な物差し」。テストの成績や学歴などよ。

 だから、能力、能力と声高に言えば言うほど批判の的になるの。しかも、情報ネットワークが拡大して外の世界を知ると、身近な社会で培われた価値観が揺さぶられるわ。「勉強ができることが本当に良いことなのかしら」って。(中村高康「暴走する能力主義ちくま新書

 

 残念なのは、90年代以降、市場主導のグローバリゼーションが受け入れられる一方で、拡大する不平等への取組が十分になされなかったことよ。代わりに、「機会の平等」への期待が高まったわ。そのことが「能力主義」を補強することになるとも知らずに・・・。「大学進学」が典型ね。

 アメリカでは世襲エリートを能力主義エリートに置き換えようと、奨学金に大学進学適性試験(SAT)が導入されたの。学問による「下剋上システム」を目指したのね。ところが、1800の大学を対象にした調査によると、所得規模を下位1/5から上位1/5まで上げることのできた学生はたった2%未満だったの。大学を卒業しても社会的上昇にほとんど影響を与えないの。

 ちょっと考えれば分かることだけど、試験勉強だって結局は経済的に恵まれている人に有利よ。すでに不平等なの。そして、ここでも「自己責任」が顔を覗かせるわ。「学業成績が悪いのはあなたの努力不足でしょう」って・・・。そして、私たちは、自分より恵まれない人の運命を気にかけなくなってしまう。それどころか、高学歴でない人に対する評価を損ねる社会を作ってしまう。そう、「能力主義」は共感性を失わせるの。(マイケル・サンデル「実力も運のうち」早川書房

 

 かと言って、平等を目指したところで、結局は「能力主義」にからめとられるわ。例えば経済格差を税金で補填しようとした場合、どこまでが自身の功績によるものか、どこからが幸運によるものか、厳格な評価が求められるでしょうね。そして、こうした試みは、その人の「能力」を評価することを要求するし、税金で経済補填される人を蔑むきっかけにもなりかねない。先日も人気ユーチューバーによる生活保護者への差別発言が問題になったわね。

 

 今、必要なのは道徳的視点よ。「能力主義」は「暫定的な物差し」しか持てず、学歴などもその延長線でしかないと捉えること、そして、社会の頂点に立った者が、その成功は偶然に過ぎず、他人を思いやる気持ちが大切だと知ることよ。慈善活動が再興していくことが切望されるわ(金澤周作「チャリティの帝国」岩波新書)。こうした視点を教えるのが、「機会の平等」を目指す教育の真のミッションよ。

 

進化系テレワークの極み、「人材革命」!

2021年8月16日(月)

 レーブだ。

 

 記録的な大雨が続いている。全国的に災害の危険性が高まっている。注意しなくてはならない。

 こんな時、テレワークは助かる。新型コロナウイルス感染症の拡大によって、これまで遅々として進まなかった我が国のテレワークが広まった。今後、テレワークが技術的進化を遂げれば、必ずパラダイムシフトが起きる。しかし、それは、「働き方改革」という生易しいものではない

 

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 テレワークには、①自宅利用型、②モバイルワーク、③施設利用型(サテライトオフィス等の活用)の3類型が存在する。これに、「ワ―ケーション」を加える場合もある。インターネット接続大手のビッグローブは、全国屈指の温泉地、別府市に「ワ―ケーションスペース」を開設した。

 テレワークはメリットが大きい。まず何と言っても、通勤しなくてよい。満員電車や交通渋滞は苦行でしかない。さらに、人流は感染リスクを伴う。これらのストレスからの解放は大きい。

 人材も多様化も期待される。コミュニケーションに悩む発達障害の人にとって選択肢が増える。就労可能年齢を引き上げることもできる。妊娠後期、病気や怪我、障害などのハンディがあっても「退場」しなくてよい。育児・介護との両立もしやすくなる。

 そして、「職場」という呪縛から解き放たれる。ハラスメントを受ける機会も減る。仕事を行う環境を自分好みにアレンジできる。街中ではコワーキングスペースも増えてきた。住む場所の制約も受けなくなるだろう。それこそ、世界中の会社にだって働くことができる。

 

 長々と述べてきたがお気づきだろうか?実は、テレワークに向いている仕事というのは、「時間」や「空間」、そして「組織」を超越し、これらとは関係ないものとなる。その時、成果主義が基本となり、プロセスは重要でなくなる

 これこそがパラダイムシフトだ。つまり、個人の能力差がますます顕著になることを意味しているからだ。これまで、日本の会社は「メンバーシップ型」の雇用を採用していた。同じ場所で働くことによって、何をやればいいのか不明瞭でも、異なる能力を持つ仲間と一緒になって適宜判断し、動くことができた。しかし、テレワークは一人ひとりの力量をはっきりさせようとする。会社によるマネジメントは「ジョブ型」を前提とし、雇用システムも変わらざるを得なくなる。

 そして、会社が欲しいのはデジタル・スキルを持つ人材である。単にしがみついている人はお払い箱にしたい。彼らの退職時には、人材の「チェンジ」が容赦なく行われよう。最近、副業の経験が本業にプラスになるという理由で、副業に対してポジティブな空気が醸成されつつある。流れに乗って、能力を向上させ続ける「スーパー人材」が登場するだろう。「スーパー人材」の「内申書」が世の中に出回ることを覚悟しなければならない。それを元に彼らを巡る争奪戦が展開される。

 会社としても、「スーパー人材」を抱えていることは良い評判となる。一方、オンライン対応すらできない会社には優秀な人材が集まらなくなり、会社間格差までもが拡大する。(大内伸哉「誰のためのテレワーク?」明石書店) 

 

 実は、このような状態は社会全体から見ると危険である。能力の個人間格差は、経済格差に直結する。「ルールを守って真面目に頑張っているつもりでいても報われない」・・・そんな思いをする人が溢れ出てくる。社会不安が増すことになるだろう。また、「スーパー人材」が必ずしも特定の会社を成長させてくれるとは限らない。それは、国としても成長できるとは限らないことを意味する。

 

 では、どうすればいいか。それは、「スーパー人材」に頼らなくてもよいシステムをあちこちで実現させていくことだ。

 まず、誰もが使いやすいインターフェースが求められる。「参加型テレワーク」環境の整備が必要だ。AIによる行動援助があると便利だ。光熱費は誰が負担する?などといった細かいルールもインストールされていると良い。ついでにメンタル・サポートしてくれるテクノロジーも欲しい。外部との円滑なネットワークシステムやテレビ会議スペースの充実も必要だ。全てのやりとりが記録され、迅速に関係者間で共有される。情報保護はブロックチェーンの技術を使う。(サイボウズチームワーク総研「サイボウズ流テレワークの教科書」SOGOHOREI)

 テレワークとオフィスワークのバランシングも大事だ。周りに人がいないと駄目という者もいるだろう。異なる働き方の存在自体が緊張感を生むだろう。個人の働き方とそれによる成果を把握し、人材の「最適配置ポートフォリオ」を完成させるのだ。 

 テレワーク環境の整備によって、情報がつながり、会社の内外を問わない「知のコモンズ」が形成され、そこに参加する個人のさらなる成長をもたらす。進化系テレワークの果てにあるのは、まさに「人材革命」なのだ。

 

「貿易の品位」~日本に問われる国内戦略

2021年8月9日(月)

 トランだ。

 

 新型コロナウイルス感染症の勢いが止まらないな。日本の感染者数がついに累計100万人を突破した。

 かたや、ワクチン接種が進んでいるアメリカでは、6月の貿易赤字額が約757億ドル(約8兆3000億円)と単月で過去最大を記録した。個人消費が回復したおかげで輸入が増えたようだな。これをうらやましいと思うだろうか。ちょっと待ってくれ。なぜなら、貿易は「黒」「赤」で語れるものじゃないからだ

 

 ここで、貿易の基本についておさらいをしようぜ。貿易は、世界各地で品物の産出量にばらつきがあることで成立する。需要と供給による価格差が利益を生み出すからだ。

 だが、貿易が自由すぎると国内産業に跳ねてくる。ドイツの経済学者フリードリヒ・リストは、二国間の自由競争がお互いの利益になるのは、両国の産業がほぼ同レベルの場合だと唱えた。完全な自由貿易で生き残れる国なんてほんのわずかだぜ。だから「守り」が必要となる。それが、関税や量的規制による「保護貿易」だ。(長沼伸一郎「現代経済学の直観的方法」講談社

 

 ややこしいことに、今の世界は細分化され、ネットワークでつながっている。このため、品物の動きや国の関与が見えにくくなっているが、実際は、政府が企業を陰に陽に支援している。輸出先の関税は下げてほしい、しかし、フェアにいこうというのなら自国への輸入関税も下げなければならない。自動車を輸出したければ農産品を輸入しなきゃならないって寸法だ。結局、割を食うのは国民だ。こうして国内で「収奪」が行われる。

 そして、「収奪」の根っこにある問題は、国内で進行する不平等の拡大だ。ここでいう「不平等」は、一定の経済成長を経て労働者の権利や最低限の賃金が保障されている状態において生じる貧富の差のことだ。労働者は教育が行き届いていて能力も高い。その分、コストがかかる。そうすると、企業は国内での製造を嫌がって海外に乗り出す。国民の収入は低いままだし、雇用も制限されるんだぜ。

 「収奪」はある程度の繁栄を達成する。だが、繁栄を手にするのは一部の富裕層だけだ。そうするよう富裕層が政治に働きかけるからだ。しかし、こんなやり方がいつまでも経済成長を生み出すことにはならないぜ。(ダロン・アセモグルら「国家はなぜ衰退するのか」早川書房

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 この究極の姿が、今の中国だ。中国の基本戦略は、輸出を盛んにしつつ、国内のインフラを整備することで雇用を確保し、巨額の資本を投入することだ。一方で、都市部への人口流入を調整して賃金上昇を抑えている。こうして、大量に消費してくれるはずの労働者から、大して消費もせずに投資に熱心な富裕層に「購買力」が移転する

 アメリカも国内の不平等が拡大しているという点では共通しているが、特殊なのはドルの存在だ。諸外国は準備資産としてドルを持とうとする。米国債を購入しつつ、ドルを稼ぐためせっせと製品を作ってアメリカに輸出する。こうして、世界的なカネ余りと供給過剰がもたらされることになる。こんな調子だから、アメリカの経常赤字は長い間解消されず、国内製造業も下火になっている。(マシュー・C・クレインら「貿易戦争は階級闘争である」みすず書房

 ここに登場したのがトランプ前大統領だ。彼は、強いアメリカを取り戻そうとした。中国の輸出産業も米中貿易戦争で大打撃を受けたぜ。そこで、中国は、15か国の自由貿易協定であるRCEP(地域的な包括的経済連携)の署名式を行い、加えて、TPP(環太平洋経済パートナーシップ)への参加を宣言した。狙いは、年平均5.6%と経済成長の著しい東南アジア諸国をはじめとするアジア太平洋地域に、あり余る資本を投下することだ。こうした文脈で考えると、「一帯一路」構想も国内資本の行き先の一つに過ぎないという中国の実情が透けてくる。

(近藤大介「ファクトで読む米中新冷戦とアフター・コロナ」講談社現代新書)(助川成也「サクッとわかるビジネス教養 東南アジア」新星出版社)

 

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 じゃあ、日本はどうすべきか。世界に冠たるトヨタを例にとると同社は電気自動車の導入に反対している。ゲームチェンジされると困るからだ。そして、広大なすそ野産業に従事する大勢の労働者を盾にとっている。しかし、それを言うのであればもっと国内生産を推進すべきだ。そうすれば、海外資本の流れを吸収することにつながる。アメリカの初代財務長官ハミルトンが、製造業は国家の安全保障に貢献するだけでなくそれ以上の価値を有すると言ってたことを思い出そうぜ。

 併せて政府は、税制改正などで国内の「不平等」を縮小させるべきだ。そうすれば、みんなの目が改めて国内市場に向かうようになる。単に輸出が減ったからと騒いでるようじゃだめだ。貿易ってのは、より健全な国内の形を実現しながら進めていかないと、結局どんづまりになるんだぜ。

 

お金には換えられません?いえ、あなたの「命の値段」は〇✕円です。

2021年8月2日(月)

 コノミです。

 

 新型コロナウイルス感染症の拡大が止まりません。ついに、新規感染者数が1万人を超えちゃいました。死亡率が低いこと、ワクチン接種が進められていることが私たちの脇を甘くしています。

 私たちは幾度となく、「命か経済か」という命題をつきつけられました。こうした議論にあっても、「命」の値踏みがなされる可能性はあります。昨年支給された特別定額給付金でいうと、当初、困窮者に30万円支給するとしていましたが、最終的に全員に10万円支給となりました。命の「公平」が演出されたのです。分かりやすい反面、効果はすごく低くなります。貯金に回した方も多いことでしょう。 

 

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 ワクチン接種の優先順位をめぐる議論を覚えていますか?日本は、医療従事者に次いで、高齢者や合併症を有する方を優先しました。死亡者数を減らすことを優先したのですね。一方で、感染拡大を防ぐことを優先して活動的な若者から接種すべきだったという声もあります。ワクチンは感染自体は防ぎませんが、体内のウイルス量を少なくすることによって他者への感染リスクを低下させることができれば、高齢者等の死亡を減らすことにつながります。また、若者の命や経済活動を救うほうが、日本の将来を考えるとより好ましいという考え方もあるでしょう。

 

 このように、命の価値が問われる営みは常に起こり得ます。もちろん、「命はお金に換えられない」と声を大にして言いたいです。でも、現実はそうはいきません。倫理や道徳だけでは議論できないのです。 

 2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件は痛ましい出来事でした。事件後、「9・11犠牲者補償基金」がつくられました。問題はその補償額です。平均額は死者1人につき200万ドルで、最低額が25万ドル、最高額が700万ドル超でした。命の値段に30倍もの開きが生じたのです。金額の算定に当たっては、一律25万ドルに加え、「経済的価値」として犠牲者の存命中の収入を基準に計算された金額が上乗せされました。未成年は当然低いほうに設定されました。女性の平均額は男性の63%に留まりました。こうして大きな差がつくこととなったのです。

 話はここで終わりません。9・11テロ犠牲者の家族にだけ支払うのは不公平だという声が挙がったのです。それまで起きた数々のテロでは政府は何ら補償は行いませんでした。事件のインパクトが命の査定に影響したのです。当時の担当者も頭を抱えたことでしょうが、現実社会では真の「公平」はあり得ず、できる限り「公平」を目指すけれども、「不公平だ!」という非難を覚悟しなければならないのです。(ハワード・スティーブン・フリードマン「命に〈価格〉をつけられるのか」慶應義塾大学出版会)

 

 命が直接係わる医療ではこのようなことは日常茶飯事です。医療資源は希少です。予算にも限りがあります。買い手と売り手がいてオープンな競争市場で取引される商品とは訳が違います。常に誰かが「選ばざるを得ない」のです。

 1960年、慢性の腎臓病患者のために、ワシントン州立大学人工透析器が開発されました。それまで亡くなっていた患者が救われることとなったのです。大学附属病院に導入された透析器は3台でした。問題は治療する患者を誰にするかということでした。

 医学的観点から患者が選ばれましたがさらに絞り込む必要がありました。弁護士などから成る市民委員会に委ねられた結果、治療のため病院近くに引っ越すだけの資産があること、治療後に仕事に復帰できること、社会貢献の可能性が高いこと等が基準となりました。こうして「命の値段」が付けられたのです。その後、批判を受けて同委員会は廃止されることとなりました。(香川知晶「命は誰のものか」ディスカヴァー携書)

 かといって「くじ引き」が公平になるでしょうか?イギリスの倫理学者ジョン・ハリスが提示した「臓器くじ」という思考実験は、臓器提供者をくじ引きで決めるという設定です。自分や大切な人が当たるかもと考えると釈然としないでしょう。(北村良子「論理的思考力を鍛える33の思考実験」彩図社) 

 

 こうした問題に正解はありません。状況に応じて、どういう「考え」の下でどの方法を採るかということに尽きます

 ワクチン接種の優先順位もそうです。でも、もっと国民を巻き込んだ形での議論があっても良かったのではないでしょうか。接種が急がれる中、学識経験者から成る審議会で決定されましたが、1日でも国民から意見を募集して検討の俎上に載せるプロセスがあっても良かったのではないでしょうか。最終決定に対する「不公平だ!」という非難に対し、説明の覚悟ができるからです

 命をお金に換算することは考えたくありません。でも、考えなければならない事態が起きた時にどうするか、私たちなりの「考え」を持っておくことが大切なのです。

 

新型コロナが炙り出した「日本ワクチン問題」の本質!

2021年7月26日(月)

 ハルです。

 

 ついに東京オリンピックが始まりました。新型コロナウイルス感染症の影響で、無観客試合をはじめ制約の多い大会となりますが、アスリートたちには頑張って頂きたいです。

 ところで、切り札のはずであったワクチン接種ですが、改めて我が国の問題点を浮き彫りにしました。具体的には、①ワクチンを国内でいかに受け入れてもらえるか、②ワクチン製造をいかに国内で進められるか、③ワクチン接種体制をいかに確保するか、の3点です。

 

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 まず、ワクチンそのものの受け入れです。ワクチンを提供する根拠法は1948年に制定された予防接種法です。どこまで国が介入し、どこまでを個人の判断に任せるのかが示されたのです。

 しかし、1970年代以来、ワクチン被害に対する国家賠償訴訟が提起されました。代表的なのはMMR3種混合ワクチンや風疹ワクチンです。報道も一役買いました。介入する側の国としても慎重にならざるを得ません。近年話題になった子宮頸がんワクチンはその罠に嵌ったと言えるでしょう。8割の接種率を誇るオーストラリアでは2066年に子宮頸がんの撲滅が予想されています。毎年約3500人が死亡している日本として本当にこのままで良いのでしょうか?(谷本哲也ら「ワクチン診療入門」金芳堂

 国はワクチンの有効性をもっとアピールすべきです。世界規模ではワクチン接種により年間200~300万人の死亡が予防されています。有害事象の確率は、不活化インフルエンザウイルスワクチンだと100万接種当たり1~2回程度です。効果を考えれば推奨すべきなのです。 

 そして、今回、興味深い現象が認められました。結核のワクチンであるBCGを国民に広く投与している国は新型コロナウイルスによる死者の割合が数十倍低いという結果が得られたのです。また、BCGに限らず、ワクチンによる「訓練免疫」が期待できます。アメリカでは過去1~5年にワクチン接種を受けた人は新型コロナ感染のリスクが低下したという報告があります。様々なワクチンを接種することによって免疫力をアップできるのです。こうした相乗効果と一緒にワクチンに対する理解を求めてはどうでしょうか。(宮坂昌之「新型コロナ7つの謎」講談社

 

 2点目はワクチンの製造です。ワクチンの開発・製造には500億円を超えるお金が必要です。開発から出荷可能になるまで最低でも数年かかります。コストを考えると企業にとっては割に合わないのです。しかし、ワクチンの年間市場規模は世界で約3兆円、国内だけでも2千数百億円とされています。それ以上に、感染拡大による国内経済への影響を考えると、予防への投資はもっと重視されてもよいでしょう

 2018年、ジョンズホプキンス大学のグループがいずれパンデミックが来ると警鐘を鳴らしていました。そしてその犯人も、感染性が高く、無症状又は軽症が多く致死性が高くないRNAウイルスと予想していました。新型コロナウイルスはまさに予言的中だったのです。ということは次もあり得ると考えるべきです。

 ワクチンの候補は、今回登場したmRNAワクチンが挙げられます。これは短期間で大量生産できます。「人工抗体」も候補です。複数混ぜて使えば変異株も不活化できるというメリットがあります。こうした最新技術を日本は獲得しなくてはなりません。安全保障として、国は企業支援を積極的に行うべきなのです。 (浦島充佳「新型コロナ データで迫るその姿」化学同人

 

 3点目はワクチン接種体制の確保です。開業医の協力を得ることで、かろうじて接種体制を確保できている状況です。そして、開業医の元締めである日本医師会は他業種による接種体制にとても慎重でした。そもそも論として、日本は国家的な緊急事態に一丸となれない弱さがあります。要因として、日本国憲法にいわゆる「緊急事態条項」が存在しないことが挙げられます。憲法の見直しを視野に入れることも必要でしょう(百地章日本国憲法 八つの欠陥」扶桑社新書) 。

 データ環境の整備も重要です。 小児だけでなく成人になってからも予防接種を受けることが必要です。百日咳、日本脳炎帯状疱疹等は加齢とともに免疫力が弱って、かかりやすくなるからです。このため、PHR(Personal Health Record)によって、個人の医療・健康情報を生涯にわたり管理する一環として、ワクチン接種歴についても掲載すべきです。これを使えば予防接種のタイミングを適切に管理することが可能となります。

 

 以上の提案は総合的なものです。単独の組織体で対応できる話ではありません。怖いのは、新型コロナウイルスの感染が収まれば、こうした面倒なことが忘れ去られることです。「ワクチン問題は安全保障問題」という意識でもって、感染の収束後すぐにでも関係者が一丸となってとりかかる必要があります

 

「コロナショック」がやってくる!地域銀行はどこへ行く?

2021年7月19日

 フィナよ~。

 

 新型コロナウイルス感染症の拡大による経済危機、いわゆる「コロナショック」は今のところ最小限に抑えられているわ。過去に例がないくらい倒産が減少しているの。2020年の倒産件数は7809件で、8000件を下回るのは実に20年ぶり。2021年も今のところ低水準よ。

 政府による迅速な支援策に加えて、取引先が事前に取引縮小や前金制にする等の保全策をとっていたおかげね。倒産した企業はもともと厳しい経営環境にあったみたい。(帝国データバンク情報部「コロナ倒産の真相」日経プレミアシリーズ)

 でも、リスクは去ったわけじゃない。むしろ、これから徐々にやってくるわ。鍵を握っているのは地域銀行。これからの地銀の行方に注目よ。

 

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 「コロナショック」とバブル崩壊の違いって分かる?それは、地銀自身がメインバンクとして企業支援を行う必要があるということよ。

 バブルでは、大手銀行が地銀の貸出を肩代わりするなどして負担が集中していたせいで、ショックは大手銀行を直撃したの。その結果、彼らは経営方針を変えることを余儀なくされた。結局、大手23行の名前は全部変わったけれど、地銀は変わることはなかったわね。 

 でも、今回はそうはいかないわ。影響を受けた陸運、小売、宿泊、飲食サービス、生活関連サービス、娯楽、医療福祉のいわゆる「コロナ7業種」について、地銀の融資残高に占める割合は約22%と国内銀行全体の約16%よりも高いの。そして、7業種の特徴は対面を基本とする労働集約型サービス。だから、「人」によるサービス提供に制約が生じたことによって資本が消えてしまったの。加えて、7業種は生産性が低く、返済必要年数が長い。地銀が大きなリスクを抱え込んでしまったの。 

 

 もっとヤバい話があるわ。それは、マイナス金利政策のせいもあって、世の中が資金余剰状態になっていて、預金と貸出に依存する従来の銀行ビジネスモデルが限界にきているってこと。「異次元の緩和」によって日銀が他行に持たせた「元手」である「マネタリーベース」は増えたけれど、実質賃金は増えないまま物価だけ上昇して消費も増えなかったから、いくら低金利といえど企業は使い道が無いのよ。逆に、円安インフレのリスクが増したわ。長い間見て見ぬふりをしていた事象が突然大問題に発展することを「ブラックエレファント」というけど、地銀にとって要注意ね。(明石順平「財政爆発」角川新書)

 

 これから求められることは2つ。一つは、国全体で金融仲介を効率的に行うマッチングシステムを構築すること。大企業の資金調達は大手金融機関が仲介し、中小企業の資金調達はもっぱら地銀からの融資が中心と棲み分けがあるの。今回のコロナショックはリーマンショックとも違っていて、マクロ全体では資本不足になっていないから、関係省庁が音頭をとって、大手銀行や大企業の資本を中小企業に循環させるという金融仲介を地銀が果たすことによって、全体のリスクを下げることができるわ。

 

 もう一つは地銀の業務多様化による経営立て直しと、「地域包括金融システム」の構築よ。現在の銀行の戦略は、従来のビジネスモデルから総合金融サービス業への転換、すなわち「脱銀行」化よ。内容は、投資銀行的機能、商社的機能、信託機能・資産運用機能などね。中でも事業承継にからむM&Aは急増しているから、M&A仲介のサポートを行うのは手かも。 

 銀行自体の再編も問われるわね。企業支援をするにも1社当たりにかける十分な時間とそのための行員の確保が必要になってくるわ。地銀にも分厚い体制が必要よ。2020年に施行された独占禁止法の10年間時限付き特例法によって、地銀同士の合併が行われやすくなるわ。また、システム統合も含め、地域金融機関の再編を促す「資金交付制度」がスタートするわ。インセンティブ付きで地銀がビジネスモデルを変更し得る最大かつ最後のチャンスね。(高田創「地銀 構造不況からの脱出」きんざい) 

 

 最重要課題は地域の再構築よ。具体的には、資金そのものというより生産性を向上させる企業支援を行うこと。金融庁は、金融機関の中で企業支援者を育成するためのシンポジウムを随時開催する予定よ。(橋本卓典「捨てられる銀行4 消えた銀行員」講談社現代新書

 日頃から足で情報を稼いで地域ネットワークを広げつつ、事業を深く理解し、地域内の関係づくりを発掘し、地域経済の循環を図ること、すなわち「地域包括金融システム」を構築することが重要よ

 渋沢栄一1873年に国内最初の銀行を創立すると同時に約500社もの企業を設立したわ。まさに「地域包括金融システム」を自ら作り上げたの。一見、関係なさそうな事業主体が幾重にも関わり合うことで付加価値やイノベーションが生まれる可能性があるわ。地銀はその橋渡し役に徹するの。これからの活躍に期待してるわ。