本格化するコロナ・メンタルヘルス問題

2021年1月18日(月)

 ハルです。

 

 新型コロナウイルス感染症拡大に伴う緊急事態宣言が11都府県で実施されています。成人式を楽しみにしていた人もいたことでしょう。みなさんのメンタルヘルスが心配です

 

 2003年にSARS(重症急性呼吸器症候群)に襲われた香港では、65歳以上の自殺率が30%増えました。2005年にハリケーンカトリーナが上陸したアメリカのルイジアナ州ニューオリンズでは、住民の半数が「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」や気分の落ち込みを経験しました。

 今回の新型コロナウイルス感染症について、厚生労働省が行った調査によると、最初の緊急事態宣言が出された令和2年4~5月頃に「何らかの不安等」を感じている人は6割に上り、その多くが「感染」に対する不安でした。5月、多くの死者を出したアメリカでは約3人に1人が不安や不眠、憂鬱な気分といった精神的苦痛を「高レベル」で経験しました。

 

 さらに、経済活動の減退が「間接的に」死をまねく可能性もあります。失業率が1ポイント悪化すると自殺者が1.6%増えるとする研究報告があります(NEWSWEEK 2020.8.25)。

 「新型コロナウイルス関連倒産」は全国累計で875件に達しています(帝国データバンク2021.1.8)。独立行政法人労働政策研究・研修機構の「新型コロナが雇用・就業・失業に与える影響」によると、完全失業者数は4月以降急激に増え、11月までの累計で195万人となっています。そして、警察庁の統計によると、自殺者数は10月に2000人を超える事態となりました。

 一度は危機を乗り切ったと思われましたが、再び出された緊急事態宣言は、こうした先行き不安な統計データと相まって、より大きな不安を生むことになるでしょう。時間を置いてメンタルヘルス問題が深刻化する可能性があります

 

 大切なのは、冷静さを保つことです。日本での被害は、感染者数はともかく死亡者数は欧米諸国に比べて格段に少なく抑えられています。

 理由として、他の東アジア諸国でも死亡者数が少ないことから、そもそも東アジア地域は新型コロナウイルスに対する何らかの免疫を持っていたという説が有力です(小林よしのりゴーマニズム宣言 コロナ論」扶桑社)。

 しかし、それ以上に、手洗い・マスク着用の意識が高かったこと、日本の医療システムが迅速な救命措置を可能にしていることなどが考えられます。

 何せ、欧米諸国ではマスクをつけないことが「個人の権利」として成立する上に、マスクを着用していると「ヤバい人」扱いされるという世界観なのです。さすがに、同列に論じることはできないでしょう。(谷本真由美「世界のニュースを日本人は何も知らない2」ワニブックスPLUS新書)

 

 油断は禁物ですが、このように感染症関連データを冷静に分析すれば、必要以上に怖がることはないのです。現在、イギリス、南アフリカ、ブラジルからの帰国者などから変異種が見つかり大きく報道されていますが、対応の基本は同じです。

 前述の厚生労働省メンタルヘルス調査においても、不安やストレスの解消法として、手洗いやマスクの着用といった「予防行動」を挙げる人が多数いることが分かりました。

 「ワクチン接種が始まれば心配はなくなる」といった過剰な期待はせずに、不要不急の外出を控えながら、新しい生活様式を受け入れ、実践することが大切です。

 

 日本では、明治政府が富国強兵策を進める中で感染症対策に力を入れました。明治19年1886年)には総人口約3850万人のうち94万人が亡くなっていますが、その5分1がコレラをはじめとする感染症によるものでした。このため、衛生教育の徹底がなされ、今日に至っています。(奥田昌子「日本人の病気と食の歴史」ベスト新書)

 つまり、日本人は、意識的にも無意識にも、「公衆衛生」を日常生活に採り入れてきたのです

 

 こうしたことから、感染症によるメンタルヘルス面での対応としては、公的機関やテレビ、新聞などのマスメディアによる、丁寧な情報提供・発信が重要となってくるのです。 

 新型コロナウイルス感染症をめぐる日本における対応は、「Go To トラベル」キャンペーンをめぐる混乱に見られるように、一貫性が無く何を守りたいのかがはっきりしませんでした。これでは、国民の信頼を得ることはできません。結果、感染の再拡大を尻目に、これまで守ってきたはずの予防行動でさえ「ルーズ」になってしまいます。

 今、政府や自治体、マスメディアは、本来の「粘り強い」日本人像をもっと信頼して、従来の情報提供・発信のあり方を検証し、今後は、根拠をはっきり示しながら、取組の理解を求めていくことが必要です。そして、地に足の着いた「雇用政策」に重点をシフトすべきです。 

 このように信頼関係を構築することが、メンタルヘルスにとって最も重要なのです。

 

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証券業界が磨きあげる「ダイヤモンド」!

2021年1月11日(月)

 フィナよ~。

 

 明けましておめでとう・・・って感じじゃないわね。

 新型コロナウイルス感染症が止まらない。日経平均株価は上昇傾向にあるけれど、7日の緊急事態宣言がどう影響するか心配だわ。一方で、「有事の金」という格言どおりに金相場は上がっているようね。

 

 同じように高価なものとしてダイヤモンドが挙げられるけれど、ダイヤモンドは金みたいに売れないの。でも高価でみんなが欲しがるからビジネスになる。そこで、ダイヤモンドを独占しようとデビアスという会社は、ロシアの大量生産、欧米によるトラスト法違反訴訟といった逆風に負けじと経営戦略を立て直したの。それまでずっと否定し続けていた「合成」ダイヤモンドを、「天然」ダイヤモンドと同じ「宝石」として使えるって認め、むしろ取り込むこととしたの。発想の転換ね!

(玉木俊明「ダイヤモンド欲望の世界史」日経プレミアシリーズ)

 

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 ここで言いたかったのは、経済環境は変化するものだから、それに応じた対応をしなくっちゃならないってこと。 今、証券業界が揺らいでいるわ。2019年に米国最大手の証券会社チャールズ・シュワブが売買手数料を無料にしたわ。日本の証券会社は、低金利政策のせいで利子で稼げず手数料収入に依存しているもんだから、まさに経営戦略の練り直しを迫られてるの。(浪川攻「証券会社がなくなる日」講談社現代新書) 

 

 証券会社がしなくちゃいけないのは、人々の声に耳を傾けることよ。主要証券21社の営業純収益は1兆9232億円。このうち約1割がネット専業6社によるもの。つまり、自ら気軽に資産運用したいという個人客が増えているの。

 これからの経済環境は一層厳しくなることが予想される。そうなると人々の「安全志向」はより強くなるでしょうね。こうしたニーズをちゃんと捉えていくべきよ。証券業界の市場規模は約3兆7千万円と金融業界全体の2%程度だから伸びしろはありそう。 

 顧客の人生設計を一緒に考え、「ゴール」に向けた資産運用を行っていくの。それこそ、米国のIFA(独立系フィナンシャルアドバイザー)は顧客にマーケットの見通しとかいった話はせず、フィナンシャルプランニングを提案しているそうよ。利益を上げることに血道をあげるのではなく、顧客の不安を和らげ、丁寧に対応しながら希望をかなえていくという姿勢が問われているの。

 

 こうした流れを踏まえつつ、さらにマーケットを大きくする工夫も必要ね。

 まずは、海外の株式も日本の証券取引所で取り扱えるようにすることね。国内市場がジリ貧だからこそ海外に目を向けることが大事よ。例えば、リスクの大きい新興国と先進国の株式とを組み合わせた商品なんか魅力的ね。

 次に、金融業界のコングロマリット化ね。日本では「スイープ」といって、銀行と証券会社のサービスを一元化して提供できる口座が作られているけれど、同じ系列会社間だけだから売れ行きは芳しくないわ。もっと自由に組み合わせることができたらいいんじゃない?そうしたら、みんなもっと資産運用に注目すると思うわ。 

 こうした取組を業界だけに任せておくのは難しいわ。関係省庁が一丸となって、金融業界を一つにまとめていくことが必要よ。そして、販売窓口は「銀行」、商品づくりは「証券」と機能分化を行うことによって、一層の効率化が期待できるわ。

 

 「効率」という意味では、証券会社がそれぞれ独自の取引システムをつくっていることもネックね。そもそも証券会社にとって、人件費とならんでシステムコストは経常コストとして大きいの。だから、これも国が主導して、日本証券業協会や全国証券取引所と一緒に「統一電子取引システム」をつくっていくべきよ菅首相が先頭になって、「デジタル庁」を設置していろんな手続きのオンライン化を進める流れがあるから、これに乗っかることが大切よ。(秋山謙一郎「証券業界の動向とカラクリがよ~くわかる本【第4版】」秀和システム

 

 最後に、人々の金融リテラシーを向上させることが大事ね。日本人はあんまりお金の話をしたがらないけど、これからの人生、国に頼り切ることは危ないわ。自分の頭で考えるクセをつけることが必要よ。

 そのためには、手始めに「投資」を行ってみてはどう?「金融」というものを学ぶインセンティブが大きく働くわ。仮に儲からなくても、世の中の仕組みや社会の動向を知ることができるわ。そうやって、常にアンテナを張って情報をキャッチするようにしておけば、その人の人生をより豊かにしてくれるはずよ。まさに、自己「投資」ね。

 こうした理念を証券業界全体で持たなくちゃね。「株」や「証券会社」と聞くとあまりよくないイメージを持つ人もいるかもしれないけれど、これからの実績づくりで180度、イメージを変えられるわ。それこそ磨きに磨いて、ダイヤモンドのように輝いてね!

 

避けて通りたい、通れない「歴史問題」

2021年1月4日

 ソシエッタです。

 

 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

 新型コロナのせいで微妙ですけど、今年は東京オリンピックパラリンピックの開催が予定されています。この状況下でどんなことができるか、日本が国際的に注目される年なんです。

 

 一方で、日本は近隣国との間で歴史問題を抱えています。「問題なんて無い」と否定される方もいらっしゃるかもしれません。しかし、戦争当時、他国に兵隊を派遣し、そこで戦闘が行われたことは事実です。

 日本が国際社会の牽引役として認められたいなら、歴史問題は避けて通れません。ここでは事実関係ではなく、歴史問題への接し方について考えたいと思います。

 

 代表的なものに、慰安婦問題、南京大虐殺などが挙げられます。特に前者については、軍の慰安所までの「強制連行」があったか無かったかという議論、1965年の日韓基本条約や2015年の「最終的かつ不可逆的に解決」するための日韓政府間合意が「なし崩し」になっていることが問題解決を困難にしています。

小林よしのり「ゴーマニズム戦歴」ベスト新書) 

 

 まず、難しいのは事実を認識することです。様々な資料や関係者の証言が出されますが、全てが正しいということにはならないです。慰安婦問題については、朝日新聞に記事を掲載した怪人物が現れました。また、政治的な圧力などでバイアスがかかるおそれもあります。

 そうなると、みんな腫れ物に触るかのように歴史に接することになります。学校の歴史教科書も、明治時代くらいまでは分量もそこそこあって、決まった内容の授業が進められますが、情報量が多く複雑になる現代史の扱いはむしろさらりとしたものになってしまいます。これでは、事実認識について、はなっからアジア諸国の若者に及ばないこととなります。

 

 仮に事実関係が整理できたとしても、その解釈や姿勢についての問題があります。過去の行為について謝罪すると国内から非難を受けるのは洋の東西を問いません。

 戦後、西ドイツでは、指導者たちが謝罪を表明し、教科書にドイツの悪行と近隣諸国の苦難を記述し、都市には犠牲者を追悼する記念碑を建てました。2000年には、強制労働を強いられた人々の被害を補償する目的で「記憶・責任・未来」基金を設立しました。(NEWSWEEK 2020.11.3)

 しかし、政府の姿勢は、罪を犯したのはナチスのせいであり、国家として法的責任を認めたものではないと批判されています。ネオナチといった極右勢力が伸張している現状を見ると、こうした批判が的を射ている気がします。

 

 戦勝国のイギリスも過去の克服については及び腰です。近代史上最大の植民地帝国を築き上げたイギリスですが、植民地支配や奴隷制に対し国家賠償を行わない姿勢を貫いています。1997年、エリザベス二世がインド独立50周年を記念してインドを訪れた際、かつての帝国軍が無差別射撃を行った現場にある記念碑で黙祷を捧げましたが、公式謝罪には至りませんでした。

 

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 そして、しばしば採られる手法が、「統治には悪いこともあったが良いこともあった」という「選別的思考」です。このような手法には注意しなければなりません。被害を実際に受けた人からすれば、到底受け入れられるものではないからです。

 実際、国際的には過去の問題を「清算」しようという動きが生じています。1990年代以降、旧植民地側が裁判に訴えて補償・賠償を求めたり、旧宗主国政府の公式謝罪を求めたり、記念碑建立や歴史教科書の記述変更を求めたりしています。

 各国の地位向上と情報のグローバル化によって、今まで以上に説明責任が求められているのです。慰安婦問題などもこうした国際的な流れの中で生じたものと捉える必要があります。 

(前川一郎「教養としての歴史問題」東洋経済新報社

 

 歴史は単なる「過去」ではありません。今の私たちに受け継がれ、今後に受け継いでいくものなのです。大事なのは、歴史をしっかり学ぶことです。それは、単に歴史的な事実関係を抑えるだけでなく、事実をめぐる議論には実は「幅」があるということを知ることによって、私たち一人一人が、入手した情報について疑うクセ、異なる立場から考えるクセをつけることにつながります。

 例えば書店で「嫌〇〇」という書籍を見かけたら、「違う考え方もあるのではないか」と想像力をたくましくして、こうした考え方が示されている書籍を併せて読むのです。

 アジア諸国の学生に比べ、日本の若者は戦後民主主義のあり方や植民地問題に関する歴史について無頓着だという指摘があります。これでは、いざ過去のことを持ち出されて非難されると感情論だけが突っ走ってしまいかねません。国際社会の中でどんな相手でも渡り合っていくためには、歴史について深く考察する機会を自ら設け、真摯に学んでいかなくてはなりません。

 

「ウィズコロナ」するなら「ウィズ外来生物」!

2020年12月28日(月)

 エンヴィです。

 

 2020年が終わろうとしています。新型コロナウイルスに始まり、新型コロナウイルスに終わる・・・そんな年でした。そして、他の生き物とのつきあい方について深く考えさせられる年でした。

 人の経済活動はウイルスの移動を伴います。「Go To トラベル」が厳しい批判にさらされるのは当然と言えるでしょう。他の生物だって同様です。今、改めて外来生物の受け止め方を考えてみませんか?

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ハンターハンター

 外来生物=悪」という単純な当てはめを信じていませんか?琵琶湖では在来種が激減する原因としてブラックバスブルーギルが駆除の対象となっています。人気番組「緊急SOS!池の水ぜんぶ抜く大作戦」ではカミツキガメがボスキャラ的に扱われています。

 これまで日本で見かけなかった種の危険性を心配する気持ちが分からないでもありません。さらに「交雑」によって既存の生態系へのリスクが増す危険性も指摘されています。「外来生物法」では「特定外来生物」を定めることによって、飼育や輸送等を禁止するなど、こうした思いを後押ししてくれています。

(小坪遊「『池の水』抜くのは誰のため?新潮新書

 

 しかし、在来生物の消滅リスクを数値化した研究はわずかです。しかも、外来生物だけが犯人扱いされることによって、実は人の手による汚染や環境悪化のほうがはるかに重大という本質的な問題が見えなくなっているおそれがあります

 日本には既に2000種以上の外来生物が住み着いているとされています。最近は猫ブームで関連グッズがたくさん作られていますが、ネコこそ外国からきた動物で、平安時代に輸入されたとも弥生時代に移入されたとも言われています。そんなネコが、国際自然保護連合(IUCN)の「世界の侵略的外来種ワースト100」にランクインしていることをご存知でしょうか?大きな時間の流れの中では「外来」かどうかを問うこと自体がナンセンスなのです

 

 そして、もっと大事なことは、自然はそんなにヤワではないということです。自然を侮ってはいけません。外来生物だろうがなんだろうが全てを飲み込んで「今」を形作っているのです。

 東太平洋にあるガラパゴス諸島は、ダーウィンが『進化論』の着想を得たことで有名で、イグアナやフィンチなどの固有種の宝庫とされています。この諸島で、2000年より「侵入種完全制御」計画が始まり、侵入種である動植物35種を標的にした43件の駆除が進められました。しかし、10年後に目的を達成したのはわずか9件のみでした。反対に絶滅した在来種は少数でした。自然は思うようにならないのと同時に、簡単に滅びたりはしないのです。

 また、原子力発電所事故を起こしたウクライナチェルノブイリでは強い放射線の影響で生物の寿命が短くなると思われましたが、ワシ、オオカミ、ヘラジカといった野生動物は繁殖を続けていますし、研究チームの調査によると、立入禁止区域のネズミの遺伝子変異は通常範囲内だったそうです。

(フレッド・ピアス「外来種は本当に悪者か?」草思社文庫)

 

 今、僕たちに必要なのは「新しい受け止め方(ニュー・アクセプタンス)」ではないでしょうか。「エコロジカル・フィッティング」といって、偶然の出会いの積み重ねで複雑な生物相が形成されるという考え方があります。自然は多様な種を受け入れながら常に変化し続けているものであり、実は、均衡が保たれているという見方は誤りかもしれないのです。それこそ人間が環境を汚しているという罪の意識を少しでも和らげるための「方便」なのではないでしょうか。

 もし、「外来生物はダメ!」と断じるのであれば、「人間こそ移動してはダメ、活動してはダメ!」ということに行き着きます。新型コロナウイルスで証明されたように、地球上で人間にとっての危険を撒き散らしているのは他ならぬ人間自身なのです

 

 もちろん、必要以上に環境を汚染し、種を滅ぼすことは避けなくてはなりません。国連「生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学-政策プラットフォーム」2019年報告書によると、地球上の800万種の動植物のうち100万種が絶滅の危機にあるそうです。

 しかし、絶対にどんな種も絶滅させてはならない、そのためには外来生物を一切受け入れてはいけない、と頑なになるのは人間のエゴです。むしろ、外来生物と交わりながら、逞しく生き残っていく生態系こそ賞賛されるべきでしょう。 

 このような自然に対する考え方は社会への姿勢に通ずるものがあります。島国の日本は外からやってくるものに対して強い抵抗感を抱きがちです。一方で、外国からやってきた文字や食べ物をうまくアレンジして取り込んでいった実績もあります。外来生物についても自然による壮大な営みの一環として捉えることで、温かく見守れるような考え方を持つことが大切なのです。

 

スイーツではまる「甘~い」罠!?

2020年12月21日(月)

 フーディンだよ。

 

 新型コロナの変異出たね~。昨日からイギリスでロックダウン(都市封鎖)が始まったみたい。以前(7月20日)コノミさんが警告していたこと(死亡率上昇)が起きる のかな~。

 

 こんな時はスイーツでも食べてストレスを解消したいんだな~。

 おいらはパンケーキが好きなんだけど、暑いシーズンだとかき氷だな。韓国発のホミビンが日本から全店撤退したのはショックだったんだな~。

 そして、ふと思うんだな。こういうスイーツのブームってちょっとしたらすぐ次のがやってきて、前のブームはまるっきり忘れられていくんだよね~。ティラミス、ナタデココ、ベルギーワッフル、パンナコッタ、マンゴープリン・・・きりがないんだな~。なんだか、みんな騙されてやしない

 

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 スイーツの「お手軽さ」は考える隙さえ与えてくれないよね。タピオカ入りドリンクは見た目もオシャレ。さらに、テイクアウトであっても途中で飲みたいと思ったら、あの太いストローを蓋に刺せばすぐに飲めちゃう手軽さ。クレープやたい焼きには無い感覚だね。

 そして、500円程度といったお財布に優しい価格設定も嬉しいとこだね。でも、よ~く見て!安いのには理由があって、原材料は結局、砂糖、牛乳、植物の粉など(+ちょっとだけフルーツ)の組み合わせなんだな~。これって「食文化」としては貧しくない?(阿古真理「平成・令和食ブーム総ざらい」インターナショナル新書)

 

 「見た目」も要注意なんだな~。経済が厳しい世の中だからこそ、甘さだけじゃなく「見た目」でも癒されるスイーツはモテモテ。まさに「食のアイドル」なんだな。そして、ひと昔前なら「体によくないんじゃない」と手を出さなかった原色系のカラフルなスイーツが人気だったりするんだな~。味も悪くないから、全体として「おいしい」ってなっちゃう不思議・・・みんなも体験したことない?

 

 音も含めた「食感」もクセ者なんだな~。ポッキーは昔のコマーシャルにもあったけど、文字通り「ポキッ」と音を立てながら食べるのが粋だよね。パフェのコーンフレークもいいアクセントになってるね~。

 オノマトペ」といって、味覚と嗅覚だけでなく「聴覚」を刺激することによって、脳の情動をつかさどる部位を活性化させる仕組みがあるらしいんだな~。ちょっと前に流行ったASMR(Autonomous Sensory Median Response;自律感覚絶頂反応)もこれに近いね。 

 ちなみに「サクサク」や「シャキシャキ」といった表現は聞いただけでおいしそうに感じるけど、「サクサク」の元は昆虫(おっと、ごめんね!)で「シャキシャキ」の元は植物らしいよ。人類の祖先が、肉や果実といった栄養たっぷりの食べ物が手に入らない時、虫や葉っぱといった代替品を選ぶ際にこうした「食感」を魅力の一つと捉えるよう適応していったのかもしれないんだな~。(ジョン・アレン「美食のサピエンス史」羊土社)

 

 とまあ、「味」に関する「脳」の影響は大きいわけだけれど、心配なのはちゃんと栄養をとれてるかってことなんだな~

 工業化のおかげで、数千年にわたって発達してきたおいらたちの「食」に関する行動や認知は大いに変化しているよ。魅力あふれる食べ物や味が次から次へと繰り出されてる。一方で、多くの人が健康や美の追求のため食生活を変えたがっている。典型的な行動変化が「炭水化物ダイエット」で、特におコメは悪者扱いなんだな~。みんなもカロリー制限のために、おコメを犠牲にしてスイーツを優先したりしてない?

 

 でも、おコメってものすごくバランスのとれた食材なんだな~。タンパク質だってたっぷりあるんだよ。お茶碗1杯分(150g)で牛乳約114g分に相当する量が含まれているんだな。さらに、消化されるとレジスタントスターチ(難消化性デンプン)に変化して腸内細菌が改善されるんだってさ。(八木宏典「最新版図解知識ゼロからのコメ入門」家の光協会) 

 ここで提案だけれど、米粉を使ったスイーツをもっと普及させてはどう?。パンケーキやタルトなどのレシピもいっぱいあるし、米を主食としているタイなどアジア諸国のスイーツを参考にしてもいいんじゃないかな~。健康や美に配慮したスイーツをもっと楽しむべきだね。

 

 繰り返すけれど、おいらたちの「食」に関する感覚はもろいんだな~。だから、脳のメカニズムを研究して「味覚」のしくみを徹底的に追求すると、「食文化」をより良い方向に変えられるかもしれないんだな~

 おコメだけでなく豆腐や野菜といったヘルシーな食材をうまく使って、もっともっとおいらたちを「うま~く」だましてほしいんだな~。そんな時代が来れば、安心して次のスイーツブームを待ってられるね。

 

学校の「メンタル」がヤバい・・・

2020年12月14日(月)

 エディカです。

 

 学校がヤバいわ。教師による生徒へのわいせつが問題。11日、萩生田文部科学大臣は「懲戒免職すべき」と考えを表明したわ。全国の公立小中高などでわいせつなどを理由に処分を受けた教員は増加傾向にあり、18年度は282人と過去最高よ(Asahi Shinmun Weekly AERA 2020.11.2)。

 わいせつ行為は生徒の一生に大きく影響するもの・・・だから、断罪は免れないでしょうし、再発防止の徹底も重要ね。

 

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 でも、より本質的な点にも目を配る必要があるわ。それは、教師たちの間に潜む「閉塞感」。以前、ここでも採り上げたスマホの問題や、部活動顧問、書類仕事の増加・・・彼らのミッションは留まるところを知らないわ。18年度には5212人(全職員92万人の0.57%)もの教師がメンタル不調で休職しているの。教師のストレス要因はこうした仕事量の増加によるものとみて間違いないでしょう

 

 加えて、保護者との関係も以前とは変化わったわ。90年代になって、「教育はサービス」という考え方が当たり前のようになり、学校に不満があれば文句を言ってもいいという風潮が生まれたわ。

 タイミングも悪かったわね。教師の世代交代が進んで50代のベテラン中心から20代の若手中心へと一気に様変わりしたわ。親御さんからすると子供の担任教師が自分より10歳も年下なんてこともザラよ。教師にとっては脅威ね。

 さらに、強いストレスは教師間のいじめにつながることも。2019年、神戸市で男性教師が激辛カレーを無理やり食べさせられたって事件が発覚したこと覚えてるかしら。

 

 教師のメンタルが心配ね。そして、教師という屋台骨がぐらつくと今度は生徒にも影響するものよ。生徒のメンタルもセットで考えなくちゃならないわ

 生徒にとっては学校は勉強だけの場じゃない・・・級友との人間関係もある。今の時代、いじめの対象もいろいろよ。小学4年生から中学3年生の6年間に、子供の9割が一度はいじめの「被害者」かもしくは「加害者」になっているの。それもSNSが利用されて・・・精神的にもくるわね。みんな、同調圧力の中で自分を押し殺してサバイバルしているのよ。

 さらに、新型コロナウイルス感染症は、生徒たちの「立ち位置」をいとも簡単に変えたわ。今まで活動的だった子が活躍の場を失って、逆に不登校の子が分散登校に適応できるようになったわ。そして、自分でも自分の気持ちがよく分からないのが思春期の子供たちよ。(諸富祥彦「いい教師の条件」SB新書)

 

 一方で、学校は競争の場でもあるわ。より良い人生を送るためには、本業である勉学に励まなくちゃならない。もちろん、競争に対する批判はあるでしょうね。でも、世の中は競争に満ち溢れている・・・学校だけが例外ってことにはならないの。複雑になっていく世の中で、よりよく生きていく力を身につけないとだめよ。もちろん競争は、あくまでも仕組みや基準のあり方に焦点を当てるべきであって、生徒にしわ寄せがきてはいけないわ。(クリストフ・リュトゲ「『競争』は社会の役に立つのか」慶應義塾大学出版会)

 

 今、学校現場には教師にも生徒にもメンタル・サポートが必要よ。具体的には「メンター」と呼ばれる人を配置して、彼ら一人一人に合わせたきめ細かな精神的・心理的サポートを行うの。傾聴と適切なアドバイスといった高度なカウンセリング能力が求められるわ。

 「スクールカウンセラーがあるじゃない?」って意見もありそうね。でも、彼らが学校現場の中でどこまで踏み込んでいけるかしら。メンターに求められるのは、相談が向こうから来るのを「待つ」のではなく、積極的に授業風景や課外活動の様子も把握しながら、教師や生徒のそれぞれに最適の対応を行うことよ。そして、ここぞという時には教師と生徒の間に立ち、場合によっては保護者や校長先生との間にも立つことができる胆力も求められるわ。 

 また、メンターの対応に個人差があってもいけない。メンター自身が問題を抱え込んでもいけない・・・だから、複数の目でサポートを実践していけるように、チーム体制を整えることが重要よ。(ダイアン・タヴァナー「世界最高の教室」飛鳥新社

 

 国や自治体はこういう点にこそ予算を割くべきね。教師も生徒も生身の人間・・・彼らが心身ともに健康でないと、良い人材は育たないわ。

 これからの不透明な未来に立ち向かっていく人材が、こうしたサポート体制の中で育つことによって、メンタル・サポートの仕組みを理解し、次世代を育成する時にも導入するといった好循環が生まれるでしょうね。日本の人口は減少するけれども、価値観は多様化して一人一人を大切にしようという考え方が強くなっていくわ。その時代に相互に助け合うことができる世の中を作り出すことこそ、学校教育にとって本望じゃなくて!

 

「シン・働き方」で起こせ、時代の逆回転!

2020年12月7日(月)

 レーブだ。

 

 新型コロナウイルス感染症は「働き方」に大きな影響を及ぼしつつある。4日、菅首相がグリーンと併せ、「デジタル」が成長の源泉と語った。

 チャンスだ!一気に「働き方」を変えて、ライバルに差をつけよう

 

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 リモートワークはこれまでの組織形態を前提としなくなった。会社の同僚とも外部の関係者とも同じようにつながる。同僚とはメールやビジネスチャットでさっさと用事を済ませて、外部の関係者とのオンラインミーティングにより時間を割くことを可能にした。成果を上げる営業ほど特定の相手と密なコミュニケーションをとっている。

 ペーパーレスも進んだ。大型プリンター機が無い場所で仕事をすることが可能となった。こうして「場所」に縛られることが無くなった。もはや、物や不動産はさほど貴重ではなくなる。これら資源を囲い込む必要はなくなり、「人」が重要な資源となる。(落合陽一「働き方5.0」小学館新書)

 

 前回ここで「『ギグ・エコノミー』が隆盛を誇る」、「『世界規模の個人戦』の時代が到来する」と説いた。今回はその続編だ。

 組織の性質も大いに変わる。組織はチームと彼らをまとめるチームリーダーで十分成立し、中間管理職は不要となる。そして、チームを構成する「個人」の力量とともに、チームによる「組織戦」が問われる時代となる

 これからの仕事は複雑になる。したがって、1人では答えが出せない。組織に答えがあるとも限らない。みんなでトライ・アンド・エラーを繰り返しながら進める「アジャイル型」の組織が推奨される。当然、スピードも求められる。チーム内の情報共有は必須となる。

 そして、ちょうどロールプレイングゲームでパーティを組んだ剣士や魔法使い、僧侶などがそれぞれの能力を発揮して敵を倒すように、個々人の強み・弱みを理解しながら、適時に適切な能力をうまく組み合わせて活かすことが重要となる。一人が抜け駆けしてもチームの業績は上がらない。結果、他のチームに敗北することとなる。

 人事評価の体系も変えておくべきだ。個人の評価だけでなく、「チーム全体の評価」、「チーム内における『個人』の評価」をより重視すべきだ。(沢渡あまね「職場の科学」文藝春秋

 

 以上の動きが進むとどのようなことが起こるだろうか。実は「時代の逆回転」を起こすことができる。ここで、日本の組織や社会構造が作られていったこれまでの経緯を振り返ってみよう。

 明治以降、日本は西洋社会にキャッチアップしようと、当時急成長を遂げていたプロイセン(今のドイツ)を参考に官吏制度を整えていった。しかし、高等教育を受けた人材が圧倒的に不足していたことから、試験無しで大学卒業生を優先的に採用することとした。これが今に至る新卒一括採用の始まりとなった。やがて、官吏の給料が国家予算を圧迫したため昇進に制限をかける必要が生じ、一定の間は職階を留め置くという年功昇進の仕組みが整えられた。これらの慣行は、民間企業にも波及していった。

 企業は、教育機関に人材のスクリーニング、すなわち、知力・人物の保証を求めた。その結果、卒業生が何を学んだかではなく、どの学校を卒業したかが問われることとなった。こうして、学歴重視の階層社会が作られた。

 やがて、高等教育を受けた者が増え、賃金コストが上昇し、階層構造を維持することが難しくなった。このため企業は、出向や非正規雇用、女性の活用を進めることで階層の維持を図ることとした。(小熊英二「日本社会のしくみ」講談社現代新書

 

 このような階層構造のコア部分は現在も維持されている。10月13日、契約社員に退職金を支払わなかったケース、アルバイトの秘書へボーナスを支払わなかったケースの両者について、いずれも「不合理とまでは言えない」という最高裁判決が出された。

 国が進める「同一労働同一賃金」とは何だったのか、とがっかりした人も多かったことだろう。日本の社会構造が改めて再確認される判決となった。

 

 しかし、デジタル化、新型コロナウイルス感染症によって、今まさに、こうした階層構造が揺さぶられている。これまでのような組織形態は意味をなさなくなり、よりフラットになる。チーム内で「特異な能力のある人」をうまく活かせるかどうかで企業の命運が決まる大前研一「新・仕事力」小学館新書)。

 「個人」の能力や専門性がこれまで以上に問われることになり、人はより良い待遇を求めて労働市場を動いていく。採用基準も変わるだろう。どの学校を卒業したかではなく「何を学んだか」が重要となり、一括採用はかえって不必要なコストを生む。そして、「正規雇用」という言葉自体がナンセンスとなる・・・。 

 まずは官公庁が率先して取組を進めるべきだ。これこそが「働き方」改革だ。日本社会が新しい構造でもって活力を取り戻すことができる最大のチャンスが待っている!