ChatGPTの脅威に立ち向かっていく「労働思想」

2024年3月18日(月)

 レーブだ。

 

 仕事は楽しいか、それとも辛いか。日本人が仕事への情熱を失いつつある。仕事への熱意や職場への愛着を示す社員の割合は2022年で5%しかない。世界平均の23%から大きく水を開けられている。賃金の高い「最初から正社員」ほど「できれば仕事はしたくない」という有様だ。毎日の通勤も修行としか思えない。

 その意味ではChatGPTなど生成AIの参入は歓迎してよいだろう。国内の利用状況は芳しくないが、人が行ってきたかなりの部分が代替される。日本では人が仕事をしなくなるのだろうか、それは幸せなことなのか、冷静に思考してみよう。

 

 

 ヒュームは、個々人の労働の不十分さを共同で解決する可能性に、社会構築の根拠を見出した。では、生成AIが主体となって仕事をこなす場合、「社会」は必要なくなるのだろうか。生成AIが価値を提供できる職種は広い。顧客対応やマーケティングシステム開発、研究等がある。アメリカでは2023年1~8月に、AIを理由として約4000人が削減された。これは労働者全体の1%に相当する。こうした動きは、銀行や製薬、医療や教育、法律部門といった専門分野にも広がるだろう。まさに、「代わりはいくらでもいる」世界となる。「社会」の分断は必至だ。(野口悠紀雄「生成AI革命」日本経済新聞出版)

 人はAIで自動化できない仕事に追いやられる。その一つが「感情労働」だ。典型は旅客機の客室乗務員だ。常に満面の笑みが求められる。その他、他人のケアなど、いわゆる「女性化された労働」の多くが当てはまる。しかし、こうした労働こそ最も辛い部類だ人間性そのものを破壊するおそれがあるからだ。(中山元「労働の思想史」平凡社

 

 だからだろうか。社会から距離を置き、自ら主体的に関わろうとしないという「一億総モラトリアム社会」が到来している。仕事に対しては指示待ちとなり、30代窓際族が量産されている。(河合薫「働かないニッポン」日経プレミアシリーズ)

 根本の原因は、世の中が「すぐ使える」人材を重視し過ぎるするようになったからだ。カントは、人類が根源的な素質を発揮して社会体制を構築するのが最終的な目的であると説いた。そのためには辛い労働であっても自らを訓練する必要があるが、このすき間に生成AIが入り込み、「すぐ使える」ツールとして君臨する。仕事による自己実現も自己研鑽も不要となる。日々の営みと仕事との区別もあいまいになり、仕事の価値も行き場を失う。

 

 解決策として、ベーシックインカムの導入を強く提唱したい。働こうが働くまいが、人間としての尊厳を守れるものだからだ。つまり、「働かない」という選択肢を堂々と選べるようにすべきだ。古代アテネでは、仕事は自由人から軽蔑され、嫌われていた。過去の「労働思想」も捨てたものではない。再考してはどうだろうか。