「BTS現象」にみる集団心理のリスク

2021年3月8日(月)

 ソシエッタです。

 

 BTS防弾少年団)が世界で最も権威があるとされる音楽賞の一つ、グラミー賞2021に初ノミネートされました。15日はいよいよ授賞式です。注目したいです。

 そして、やはり権威のある音楽賞である「ビルボードミュージック・アワード」においては、2017年より4年連続で「トップ・ソーシャル・アーティスト」を受賞しています。人気・実力ともに世界トップクラスです。

 

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 彼らの成功の要因として、ラップ・ヒップポップの主流化に最も素早く反応した韓国ポピュラー音楽の中でも極めてレベルが高いこと、メンバー全員がシンガーソングライターであり自分たちの思いをストレートに表現するという「本物のアイデンティティ」を持っていることなどが挙げられますが、最も大きいのは「ファンダム」の存在です

 「ファンダム」とは、ポピュラー文化において、特定の対象やテーマに魅了された人々の間で築かれた「能動的かつ生産的」なネットワークと文化を指す言葉です。文化や商品を受動的に消費する「ファン」とは区別されます。

(金成玟「K-POP岩波新書

 

 そして、K-POPには独特のファンダムが存在します。彼らは、応援グループの活動を宣伝本部以上に情報発信するだけでなく、様々な形で援護射撃します。

 特に、BTSのファンダム「ARMY」は有名です。彼らの中で批評や議論を行い、評論家と同じレベル若しくはより深いレベルで音楽と歌詞を解釈します。時には、BTSに対する誤解を解くため、学術論文に匹敵する膨大なリサーチとロジックを盾にBTSを守ります。行動も素早いです。「Black Lives Matter」では、メンバーらによる100万ドル寄付から1日も経たずに同額の100万ドルを集めました。

(Asahi Shimbun Weekly AERA 2021.1.11)(キム・ヨンデBTSを読む」柏書房

 

 ファンの力は大きいのです。これからは単なる「お客」ではなく、一緒になって楽しむ「共感者」としてその力を借りながら、このサービスでしか得られない「情緒価値」を高めていくことが求められています。(佐藤尚之ら「ファンベースなひとたち」日経BP) 

 しかし、こうした背景に「集団心理のリスク」が潜んでいます。理由は、現代社会で個人が拠って立つべきものが無くなっていることへの不安が増大しているからです。

 今、産業や経済が発展し、物質的な豊かさに恵まれています。個人の地位も向上し、主張や考えが尊重される時代となりました。一方で、思想や信仰、家族といった集団的な枠組みや価値観が薄くなり、人々は「個人」というものがいかに小さく孤独なのかということを肌で感じるようになりました。

 こうして、自分の置かれた環境のプレッシャーに押しつぶされ、行動の規範を見失い、他人を追随・模倣しているだけのような存在となってしまうのです。さらに悪いことに、同調圧力が以前にも増すようになり、お互いを監視し合うようになりました。そのことが、人々の間の分断を生むきっかけを作り出しているのです。

エマニュエル・トッドエマニュエル・トッドの思考地図」筑摩書房

 

 「BTSの『ARMY』は違うでしょ!だって、彼らは(受動的にではなく)能動的に活動しているんですもの」という反論が聞こえてきそうです。それは事実です。

 しかし、彼らの行動の原点は、あくまでもグループの「音楽などが好き」ということであって、決して集団的行動規範や道徳的価値観から始まったものではありません。こうした場合、「グループシンク(集団浅慮)の社会」と言って、同じような思考を持った集団がある事がらを信じ込んでしまう、という罠に陥る可能性があります。外の現実と全くそぐわないという事態も起こり得ます。こうなると、異なる考えを排除し、あるいは、ファンダム自ら社会から遊離することさえあるでしょう。

 事実、他のK-POPファンとの間で衝突も生じています。2018年には「原爆Tシャツ」問題をめぐり、ARMYによるBTSの過熱擁護が話題になりました。こうした危うさを秘めているのです。

 

 翻って 日本を見ると、規律正しい社会と評価は高いものの、受動的な形での集団心理はあっても能動的な意識が欠けていると指摘されています。つまり、「ファンダム」でさえなく、あったとしてもその動きに追随する「ファン」が圧倒的な社会なのです。

 昨年は「鬼滅の刃」の映画がメガヒットしました。これからも、情報ネットワークによってメガヒットがより生まれやすくなります。でも、すぐに違うコンテンツが世の中に出て、今度はそちらにわーっと群がるのです。

 今こそ、自分たちの「集団的行動規範・道徳的価値観の問い直し」をしましょう。そうです、求められているのは、私たちの「本物のアイデンティティ」なのです。

 

「やり過ぎ」環境保護を「環境経済学」でマッサージ!?

2021年3月1日(月)

 エンヴィです。

 

 環境が再び注目されています。菅首相は「グリーン」を強調しました。アメリカも2月19日に「パリ協定」に復帰しました。環境を守ることは僕たちの生活を守ることです。

 一方で、「やり過ぎ」の環境保護は要注意ですレイチェル・カーソンによる『沈黙の春』(1962)はその典型でした。DDTという殺虫剤の危険性を世間に訴えた本で、大変な反響を呼びましたが、米国などでDDTの使用を禁止した結果、5000万人以上の人が、蚊が媒介するマラリアで命を落とすこととなりました。(ポール・A・オフィット「禍いの科学」NATIONAL GEOGRAPHIC)

 そして今、身近なものとして、野菜や茶に浸透している農薬に含まれる微量化学物質の危険性が指摘されています。(奥野修司「本当は危ない国産食品」新潮新書

 

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 ちょっとでもリスクのありそうなものを避ける「予防原則」の考えは重要です。でも、結果的に利益が少なく、かえって不都合なことが多くなる行動には気をつける必要があります。

 プラスチック容器はとても便利です。ここで使用されている「ビスフェノールA」という物質は、動物実験でがんとの関連が指摘され「悪者」に祭り上げられましたが、その後の動物実験では同じ結果が認められませんでした。

 また、ロシア人科学者が遺伝子組換え大豆を食べさせたラットの子どもが低体重を示したと研究発表を行い、その危険性を訴えました。その後、有害な生の大豆を餌として与えていたことが判明し、多くの国際機関が危険の根拠にならないと声明を出すこととなりました。(松永和紀「ゲノム編集食品が変える食の未来」ウェッジ)

 

 このように、たった一つの科学的根拠でもって直ちに結論を導き出そうとすることは危険です。 特に、環境問題はより複雑なメカニズムが関係してきます。このようなジレンマの解決策として期待できるのが、環境経済学」の考え方を使って、柔軟に「揉みほぐす」ことです。 

 

 ここでは「コースの定理」を挙げます。

 これは、公害が発生した場合、その発生者と被害者との間で取引することによって、問題を丸く治められるとする考え方です。驚くべきなのは、公害の発生者にも「汚染権」という権利を認め、被害者との間で権利の売買を行わせること、つまり、市場に委ねるという点です。ロナルド・コース(1910-2013)が示し、この理論によってノーベル経済学賞を受賞しました。

 もちろん、現実はうまくはいきません。「そもそも、公害発生者に権利なんて認めちゃっていいの!?」という声が聞かれそうです。でも、この理論をベースに、大気汚染に関する「排出権取引」の構想が生まれました。そうです。応用が効くのです。(藤井良広「環境金融論」青土社

 

 先ほどの、農薬中微量化学物質に応用するとこうなります。

 「農薬によって人体を汚染するかもしれない権利」を国が設定し、農家などの使用者がこれを購入します。その時の価格は、農薬に総量規制を導入した上で市場価格によって決定されます。

 農薬をたくさん使おうとする使用者ほど購入費用が大きくなります。そして、実際に健康被害が発生した場合は、使用者から集めた購入金額で被害者に賠償金として支払うのです。ここで、もし健康被害が多く発生すれば、次からの市場価格は上がることとなります。すると商品は売れなくなり、使用者も農薬開発業者も工夫が迫られます。その結果、被害が少なくなれば、今度は反対に市場価格は下がっていくでしょう。

 絶妙なのは、市場に委ねることによって、つまり、各プレーヤーがそれぞれ持っているインセンティブを利用することによって、未知のリスクも織り込んだ上での「全体最適」が自律的に図られるという点です。

 

 人間が経済活動を営む上で、常に「ゼロ・リスク」を求めることは現実的ではありません。何かをしようとすれば必ず代償を伴います。大事なのはその代償をコントロール可能な状態にすることです。

 思わぬリスクが潜む可能性を考え、必要な備えをしておくことによって、問題への早期対応と再発防止につなげることができます。つまり、被害が発生するたびに個別に対応していくのではなく、環境経済学」の理論を元にして、ある経済活動に伴う被害が発生しても、自然にそれを最小化させてしまうと仕組みを予め用意しておくのです

 具体的にどの経済活動をターゲットにするかは大変な作業になるでしょうが、まずは、想定されやすいもの・・・食品関係や公共事業が適当かもしれませんね。

 

 世の中はますます複雑になります。そして、環境問題は個人に留まらず、集団や地域全体を巻き込んでいきます。これにハードに対応するのではなく、「環境経済学」により、しなやかに解きほぐす手法を用いることで、安心して暮らしていける生活環境を整えることができるのです。

 

日本が飢える!?今こそ「食の安全保障」

2021年2月22日(月)

 フーディンだよ。 

 最近、飲食店やスーパーで大豆ミートを見かけるようになったんだな~。将来的には「培養肉」もあるかもしれないけど、植物性タンパクを摂るほうが、体にも環境にもいいからお勧めなんだな~。

 

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 でもその前に、日本も「飢える」可能性があるってことを忘れちゃいけないよ。世界の人口は爆発的に増えている。今は77億人だけど、2030年は85億人、2050年はなんと105億人なんだな~。農産物の需要も今後20年間で1.5倍膨らむよ。

 でも、耕作地は2010年をピークに減少し続けている。(ティム・ジョーンズら「データブック近未来予測2025」早川書房

 農産物に必要な「水」も危機的状況だよ。1人1日分の食料生産に約2000リットルの水が必要で、これからは毎年430億トンの水が新たに必要になるんだな~。

 

 ただでさえ、約6億9000万人もの人が飢餓状態なのに、新型コロナウイルス感染症が国際的なバリューチェーンに影響をもたらしている。新興国がピンチになると日本を含めた先進国もピンチになるんだな~

 特に日本は食料自給率がカロリーベースで38%(2019年度)と低いから、各国が食料を輸出に回さず奪い合おうものなら、たちまち兵糧攻めになるよ。今こそ、いざという時のために、「食の安全保障」を真剣に考えるべきなんだな~。(八木宏典「最新版図解知識ゼロからのコメ入門」家の光協会

 

 「食の安全保障」は、生産、流通・小売、消費からなる複雑なシステムについて、あるべき姿から「逆算」してそれぞれの取組を考えたほうがいいね。

 まずは「消費」。健康志向が増えているけど、実は日本人も一人当たりの推奨カロリー(2300kcal)をちょっとオーバーしている。肉食が増えていることが原因だろうね。

 アメリカでは肥満率が35%に上るけど、若いミレニアル世代は健康への注目度が高いよ。だから、大豆が様々な加工食品で使われるようになったし、多くの州で砂糖入り飲料を規制するなど企業や政府も動いている。日本でももっと健康意識を高めるため、「大食い」や「デカ盛り」をもてはやすテレビ番組は自重したほうがいいんじゃない

 また、これからはゲノム編集した作物が注目されるだろうね。特定のDNAを切断して遺伝子変異を起こすわけだけど、栄養価の高い作物を作ることができれば量は少なくて済むようになるよ。環境負荷も小さくなるね。(松永和紀「ゲノム編集食品が変える食の未来」ウェッジ)

 

 次は「流通・小売」。ここでのポイントは、必要な量だけ確実にみんなの手元に届けるってこと。需要と供給のミスマッチを最小限にするためには、きめ細かな消費データを入手することが大事なんだな~。電子タグで個々の農産物や製品を追跡できるようにするといいんじゃない経済産業省では2025年までに大手コンビニ5社で1000億枚の電子タグをつけるみたいだよ。(アンドレアンドレニアンら「マッキンゼーが読み解く食と農の未来」日本経済新聞出版)

 あと、「フードロス」が存在するっていうことは、世界で食べ物に困っている人が大勢いることを考えると問題だな~。日本はたくさん輸入させてもらっているわけだし。お店の「食べ放題」とか「おかわり無料」といったスタイルは止めたほうがいいね。どうしてもやりたいのなら、税金を科すんだね。中国は2020年8月に「食べ物節約令」を出したんだな~。客の人数分より1品分少なく料理を注文させるとか、食べ残しにペナルティを科すとかしているよ。お店だけでなく、本部や流通元、そしてお客さんの理解が必要だね。(井出留美「食料危機」PHP新書

 

 3つ目は「生産」だな。これまで挙げたデータを基に「栽培計画」を立てることが大事だ。これによって生産工程からロスが少なくなる。そして、技術力向上によって「植物工場」による多品種の安定供給が行われるようになれば、自給率も高まるんだな~。

 それまでは、農産物の輸入元となる国と友好関係を保つべきだよ。例えば、大豆ならアメリカやブラジルと、地球温暖化に備えてカナダやロシア、ウクライナといった国々と緊密な関係を作っておくことが大事だね。

 

 最後に、これらを統合してマネジメントする仕組みが必要だよ。農産物のフロー情報からニーズを大まかに把握して、効率的に生産・分配を行うシステムを国・地方で統合して構築すべきなんだな~。災害時にも対応できるよう、備蓄や供給ラインも考えといてね~。日本のバリューチェーンはそれぞれのプレーヤーが独立していて、地域ごとにまちまちだから、こうして国がシステム自体を「ダイエット」させつつ整えることが必要なんだな~。

 おいらたちの「食への意識」にも触れとこうね。いつも危機と隣り合わせにあることを意識して普段から食べ物を大切に。えっ、「お前こそもっと痩せろ」って!?

 

マスク着用もサイエンス体験?「科学的根拠」で生き残れ!

2021年2月15日(月)

 エディカよ。

 

 震度6強の東北地震はびっくりしたわ。何についてかって?つい先日、東日本大震災震源域北側の海底に巨大地震のエネルギーとなる「ひずみ」がたまっているというニュースを聞いたばかりだったからよ。

 こんな時に思うの、やっぱり「科学的根拠」って大事ねって・・・。

 

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 もちろん、「科学的根拠」を厳格に求め過ぎて身動きがとれなくなるというジレンマもある。新型コロナウイルス感染症について言えば、欧米ではマスクを着用することをとても嫌がった。国際的に権威のあるWHO(世界保健機関)が「明確な根拠が無い」としたものだから、各国が追随してみんなもそれに寄り掛かったのね。(谷本真由美「世界のニュースを日本人は何も知らない2」ワニブックスPLUS新書)

 「科学」は、真実かどうかを判別する便利な道具ではなく、真実に近づくための仮説をつくる営みなの。だから、仮にデータが「厳密」に出ていなくても「本質」を押さえた内容ならば傾聴すべきよ。そして、自分自身の「常識」としてセーブしておくべきね。そうすれば、複雑な現代社会でもブレることなく、より適切な生き方を続けていくことができるわ。 

 

 もちろん、新しいエビデンスによって「常識」がひっくり返ることもあるわ。でも、「本質」を押さえてさえおけば、「それもあり得るわね」と寛大に受け止めることができる。

 例えば「進化論」・・・進化論の本質は「自然淘汰」、つまり、「環境に適応した者が生き残る」ということ。この考え方でさえ、宗教が支配的だった当時は批判が大きかったわ。でも、膨大な観察や解析を経て現在、「遺伝子が生き残りをかけて、その乗り物である生物の生き方を設計している」という形で支持されているの。 

 ところが、「エピジェネティクス」という考え方が提唱された。これは、環境に適応しようと努力したことがその子に受け継がれるというものよ。キリンが高い樹の葉っぱを食べようと懸命に首を伸ばしたら、その子の首もちょっと長くなって、それが何世代も経て今の長さになったとする考え方ね。

 これは、「遺伝子こそがすべて」という「常識」をひっくりかえすものだけれど、「本質」を見ればこれだって立派な「自然淘汰」・・・よ。でも、ひょっとしたら、こうした親の努力が受け継がれることさえも遺伝子にとっては織り込み済みなのかもしれないけど。(矢沢サイエンスオフィス「科学の理論と定理の法則」ONE PUBLISHING)

 

 それから、人間は古くから「不老不死」を求めてきたわ。みんなにとってはそんなこと「不可能」に思えるかしら?でもね。死なない生物が現にいるの。ベニクラゲよ。それから、最後は死ぬんだけれどもそれまでずっと完璧な健康体を維持する動物もいるの。アホウドリなどね。

 ピンピンコロリの人生を送ることができれば素晴らしいことだけれど、人間はそのようには設計されていない。だとしたら、老いて死ぬってことには人類という種が生存競争に打ち勝つための何らかの理由があるはずなの。こうした「本質」を捉えた上で、不老不死についてを考えないと、とんでもないことになる気がするわ。「謙虚さ」も必要なのよ。(吉森保「ライフサイエンス」日経BP

 

 新型コロナウイルスについて振り返ってみると、唾液がエアロゾルになって漂っているのを吸ったり、眼の粘膜に入ったりすることで感染するわけだから、何もしないよりは、マスクやゴーグルを着用することで感染確率を下げるのは「常識」・・・否定する根拠は無いはずよ。

 これから日本でも導入されるワクチンで、ある程度は対処できるでしょう。でも、ウイルスだって生き残りをかけてるの。遺伝子変異が大きいとワクチンが通用しない可能性も出てくるわ。だから、過信は禁物。つらいかもしれないけれど、「謙虚」になって当分はマスク着用を心がけてね。

 

 私たちがよりよく生きていくためには、もっと「科学」について学ぶことが大切よ。北欧諸国では「科学的根拠」に基づいたアウトドアでの教育活動が推奨されているわ。スウェーデンでは、毎日2人の子供が森で迷子になっているという現実的な問題をテーマに、子どもたちが森に行って、「木に抱きつくこと」や「地面に直接寝ないこと」で凍死を防ぐことを体感して学ぶの。(川崎一彦ら「みんなの教育 スウェーデンの『人を育てる』国家戦略」ミツイパブリッシング)

 このように、様々な場面を使って「科学的思考」を共通言語のように行き渡らせることが大事ね。ついつい、「GoTo キャンペーン」のせいで新型コロナウイルス感染症が拡がったと政府に責任を押し付けがちだけれど、むしろ、私たちの中に巣食う「油断」や「甘え」がそうさせたと捉えるべきね。そう、新型コロナウイルスとの闘いは私たち自身との闘いなのよ。「生き残り」をかけて科学を実践してみて!

 

「リカレント教育」で自分に再投資、「コロナ氷河期」を乗り越えろ!!

2021年2月8日(月)

 レーブだ。

 

 新型コロナウイルス感染症「緊急事態宣言」が1か月間延長された。新規感染者数は減少傾向にある。さらに、ワクチン接種に向けた準備が進められている。終息に向けて期待が高まる。

 しかし、経済が回復するまでどれくらいの時間を要するだろう。リーマン・ショックでは7年もの歳月を要した。雇用環境は厳しい状態が続く。時間差で「コロナ就職氷河期」が押し寄せてくる。(前川孝雄「コロナ氷河期」扶桑社)

 

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 足元では、新規労働者の採用計画が縮小している。全国の民間企業の求人総数は前年の80.5万人から68.3万人へと15.1%も減少した。有効求人倍率は雇用指標の中で景気変動に最も早く反応するが、リーマン・ショック時よりもやや早いペースで悪化している。

 今のところ、完全失業率リーマン・ショックほどではない。しかし、これは「見かけ」でしかない。企業が従業員に休業手当を支払うことを条件に助成される「雇用調整助成金」が速やかに拡充されたからだ。または、従業員をリストラすると非難を浴びるため、企業が慎重な姿勢を見せているだけかもしれない。

 

 これからは、いつまでも同じ企業に勤められるとは限らない。転職も視野に入れなければならない。一人ひとりの「生産性」がよりシビアに評価される。(鈴木亘社会保障と財政の危機」PHP新書

 解決策として、スウェーデンの取組が参考になる。同国では、1990年代に失業率が急上昇したが、政府が資金を投入し、大学に行かなかった人に大学レベルの教育を受けさせた。景気が悪い時に「逆張りの投資」をしたのだ。こうした政策の影響からか、スウェーデンではいくつになっても「学ぶ」姿勢が自然に備わっている。日本もこれにならい、国民への投資を行うべきだ。(川崎一彦ら「みんなの教育スウェーデンの『人を育てる』国家戦略」ミツイパブリッシング)

 

 そのためには、政府が「リカレント教育」を推進することだ。「経済財政運営と改革の基本方針2020」(骨太の方針)でも全国的な推進がうたわれている。ところが、国際比較でみると、25~64歳のうち大学などで教育を受けている人の割合は、イギリス16%、アメリカ14%に対し、日本は2.4%と低い。OECD平均の11%と比べても見劣りする状況にある。

 課題としては、①費用がかかる、②時間がない、③実践的なプログラムがない、④学習に関する情報を得る機会がない等が挙げられている(平成30年度内閣府生涯学習に関する世論調査」)。こうした課題を克服しなければならない。(渡邉洋一「『新しい学び』でキャリアアップ!」幻冬舎

 

 そこで、国が提供する「リカレント教育」プログラムを提案したい。具体的には、特定の年齢を対象に、一定期間、「学びのきっかけ」を提供するのだ。ここでいう特定の年齢とは、30歳、40歳、50歳といった節目を想定している。

 これらの年齢に達した者全員に案内を出し、それぞれの誕生月に1か月間、無料でオンラインによって講座を受講できるようにする。受講するかどうかは当人任せになるが、国が証明書を出せばインセンティブにはなろう。就業している者については、勤め先の協力義務を課す、教育休暇制度を整備する、といった環境づくりも必要だ。むろん、入院しているなど受講したくてもできない場合は受講期間を前後にずらしてもよいこととする。

 

 講座の内容は、その時々において重要とされているスキルのエッセンス(さわり)とする。今であれば、英語や中国語といった語学、プログラミング、ITシステムなどから選択できることとする。注意したいのは、これらはあくまでも「学びのきっかけ」であって、より深くしっかり学びたい場合は別途、独自に学ぶべきだ。

 こうしたスキルに加え、お金のリテラシー社会保障のしくみ、健康づくりといった、賢く生きていくために必要な最低限の知識に関する講座を必修課程とする。また、50歳であれば「退職後の生計の立て方」というふうに、それぞれのライフステージに沿った講座をオプションとして用意してもいいだろう。

 

 日本人は初等教育などが充実しているため、読解力や計算力のレベルは国際的にも高い。これらを土台として、一定の人生経験を積んだ上での「よりよく生きていくための学び」は一味も二味も違ってくるはずだ。

 また、講座の合間に受講者同士の交流用モジュールを設けて、横のつながりを作る試みがあってもいい。所属している組織から離れて視野を広げるのに役立つし、何よりも孤立感を減らせる。 

 とりあえず「モノ」だけ揃えておいてあとは自由に選びなさいという「リカレント教育」もあろう。しかし、悠長にしてはいられない。国としての方向性を示しつつ、強力に自己投資させていくことが大事だ。今こそ、みんなが一丸となって、「コロナ氷河期」という難局を乗り越えることが求められている。

 

あったか~い「住まい」でヘルシーに生きよう!

2021年2月1日

 トランだ。

 

 何でも今年の節分は2月2日なんだってな。124年ぶりってのが有り難いのかどうか分からないが、今年はみんな、「鬼は~外!」じゃなくて「コロナは~外!」って気持ちだろうな。

 一方、このままいくと緊急事態宣言解除もままならない感じだな。不要不急の外出を控えろってことだから、「福は~内!」のほうがより重要だぜ!

 

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 日本の住宅政策は「持ち家」を中心に進められてきた。90年代半ばから住宅ローンの大半を市場経済に委ねたおかげで、ローンを返すため父ちゃんは会社で嫌な顔一つ見せず勤めあげ、母ちゃんは家庭を支えながらパートで経済面でも貢献するというスタイルを強いることとなった。少なくとも、こうした「標準モデル」がイメージされた。

 しかし、状況が変わった。特に若年層では単身者だけでなく親元で暮らす「世帯内単身者」が増えてきた。彼らは低所得であることが多く、自分の「住まい」を確保するのは至難だ。加えて、新型コロナウイルスがとどめを刺す。住宅ローンを支払えなくなるケースが続出している。(Asahi Shimbun Weekly AERA 2020.12.14)

 このままではいけなだろう。 必ずしも「持ち家」ではなく「賃貸」を基本として、一刻も早く、居住環境を整えていくべきじゃあないか。(平山洋介「『仮住まい』と戦後日本」青土社) 

 

 実際には、「住まい」を低額で提供する支援策がある。国土交通省は、「新たな住宅セーフネット制度」によって、増加する空き家・空き室を活用して、高齢者、障害者、子育て世帯、低所得者などの「住宅確保要配慮者」に、家賃低廉化などの支援を行っている。

 もうひとひねり欲しいぜ! 

 

 「賃貸住宅」のみを対象とすべきだ。そうすれば「持ち家」のある世帯との経済格差を縮小できるぜ。さらに、支援の対象を、「健康配慮型の住まい」に住む者に絞るべきだ低所得者は食事の内容に偏りが生じるなど、ただでさえ健康リスクを抱える可能性が高い。

 住まいは健康に大いに影響するんだぜ。特に室温の影響はでかい慶應大学の研究によると、脱衣所の平均室温が「14度」だと「12度」と比べて健康寿命が4歳延びる。逆に、夜間の室温が「9度未満」だと「9度以上」と比べて循環器疾患死亡リスクが4.3倍にも跳ね上がる。

 WHO(世界保健機関)は、2018年11月、「冬の室内温度として18度以上」を強く勧告したが、その根拠となったのは、イギリスにおいて家の寒さと死亡率の関係を数十年調査して「住民の健康・安全性評価システム」を開発したことだ。イギリスでは18度以下の賃貸住宅には解体命令が出るんだぜ。日本では考えられないだろう。

 

 ちなみに、室内を温かくするポイントは「窓」だ。冬場は60%の熱が窓から逃げる。窓に貼る断熱用プチプチシートが売れているぜ。あと、室内では衣服を着込まないことが大切だ。活発性が増して筋肉量の維持や脳の健康につながる。また、温度だけでなく湿度も重要だ。新型コロナウイルスもそうだが、感染症対策として50~60%の湿度を保つことが望ましい。(笹井恵美子「室温を2度上げると健康寿命は4歳のびる」光文社新書

 「健康配慮型の住まい」への居住を促進することで健康リスクを低下させることができれば、居住者の生計も助かる。高齢化を見据え、「ケア付きの賃貸住宅」を推奨するのもいいだろう。また、こうしたタイプの住まい設計が当たり前となってくれば、賃貸だけじゃなく「持ち家」についても「健康配慮型」がもてはやされるようになるぜ。

 

 もっと言えば、そもそも、「マイホームが夢」とか、「家を持って一国一城の主」とかいった古臭い価値観を無くして、「賃貸」中心の価値観にシフトチェンジすることが必要だぜ。住宅ローンの呪縛から解き放ち、新型コロナウイルスや自然災害のような危機に強いレジリエンスを獲得することができる。

 ところで、「賃貸」と言うと集合住宅をイメージしやすいだろうが、別に一戸建てでも構わない。要はみんながやたら「持ち家」を欲しがり、郊外に開発された造成地に住宅を作っては壊すということを繰り返していたんじゃ、土地や資材、電気や水道、道路といったインフラがいくらあっても足りないぜ

 公共事業依存型の政策はやめて、今ある資産をリノベーションしながら活用していく方向に転換していくことが大切だ。また、「持ち家」は土地と合わせて資産として相続されるから、「持たざる者」との間で複数世代にわたる経済格差を助長する。相続税を見直して住宅承継に制限をかけるべきだ。子らには独り立ちすることを念頭に奮起してもらおうぜ! 

 「住まい」は人間が生きていく上での基本要素だ。そして、これからは、より多様な生き方を支えるものでなくてはならない。「鬼は~外!」があちこちで元気よく聞かれる世の中にしていこうぜ!

 

DDS(デザイン、データ&サブスクリプション)が紡ぐ未来消費

2021年1月25日(月)

 コノミです。

 

 新型コロナウイルス感染症がデジタル・トランスフォーメーション(DX)を後押ししています。そして、来月、国会に提出される「デジタル改革関連法案」はこの流れを加速します。

 

 未来の消費活動のポイントは「デザイン」と「データ」です。まず「デザイン」で消費者を惹きつけ、その過程で必要な「データ」を取得します。世の中のトレンド、消費者の好み、サービスの使い方・・・これらを分析し、さらにその人向けにカスタマイズしたサービスを提供します。「デザイン」も新しくなっているでしょう。あらゆる場面でこのようなサイクルが回り始めます。

 そして、こうしたサービス形態に「サブスクリプション」はうってつけですサブスクリプションは製品やサービスを使う「権利」を定期購入するというビジネスモデルです。社会学者のエベレット・ロジャーズによると、新しいものへの感度が高い人は全体の半数に及びます。みんなと同じようでいたい、でも、みんなと違うものを・・・そこに人は惹きつけられます。この思いに寄り添うことのできる「デザイン」・「データ」と心地よさを持続させてくれる「サブスクリプション」は最強の組み合わせなのです。

(山本康正「2025年を制覇する破壊的企業」SB新書)

 

 「デザイン」は商品に留まりません。例えば、音楽の定額聴き放題サービス「Sportify」が画期的なのは多くの機能を無料会員でも利用できるとしたことです。この押し付けがましくないところが「かっこいい」のです。また、ファッションサービスの「airCloset」は、ファッション業界で活躍する現役スタイリストを取り揃え、購買者に合ったコーディネートを提供しています。こうした「しくみ」にも「デザイン」力が発揮されるのです

(リンクアップ「60分で分かる!サブスクリプション技術評論社

 

 「デザイン」・「データ」&「サブスクリプション」は、新型コロナウイルス感染症の逆風さえも上手に利用します。

 しばらくは旅行をあきらめざるを得ない状態ですが、現在検討されている工夫には注目したいです。ANAは「仮想旅行」の事業化に着手しました。スマートフォンを使ってその場にいるかのような空間を作り出し、疑似体験が可能となります。お土産も買えます。もし、1回の料金を低額で抑えることができれば、リピーターが増えること間違いなしです(読売新聞2021.1.22)。

 どうしても移動したい場合は、将来的には「無人ロボットタクシー」を利用することも考えられます。道中、車内モニターが現地の歴史や特徴を教えてくれたり、見どころでは車壁を透明にして景色を堪能させてくれたりするかもしれません。

 こうして旅行が終わると、顧客の感動ポイントをデータ化し、他の客のデータも加えつつ、次回はもっと感動的なサービスを提供してくれることでしょう(日経トレンディ 12.2000)。

 

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 こうした未来は一見素晴らしいように思えます。しかし、サービスが個別化するように見えて、実は、多様性を失っていくおそれがあります

 理由の一つは、データ関連企業がどんどん淘汰されて巨大化するためです。企業の多くは株式会社ですが、株式会社というのはその存続と株主の利益というジレンマを克服するため、「生産」をひたすら拡大しなくてはなりません。

 製造業であれば、供給が需要を上回ることで活動が停滞しますが、データ産業はコストを徹底的に削減して事業を拡大していくことが可能です。GAFAなどの大企業はベンチャー企業を吸収して、ますます大きくなっていきます。こうなると、様々な企業がそれぞれの独自性を発揮する機会が失われます。(平川克美「株式会社の世界史」東洋経済

 

 もう一つの理由は、サブスクリプションが私たちを「骨抜き」にしてしまうためですサブスクリプションでは短期的な収益は見込めません。このため、長期的に顧客を囲い込めるよう様々な工夫が施されます。その手段として「デザイン」と「データ」が利用されるわけですが、先の例で言うと、自分でファッションや旅程を考えるといった手間や煩わしさから解放してくれます。例えれば、実際にかゆいところではなく、かゆくなりそうなところをいつも先回りして掻いてくれるのです。

 それは、私たちの感性や考える力を失うことにつながります。その時の私たちの存在というのは、利益をもたらしてくれる「記号」か「データ」の一部でしかありません。それで幸せというのであればそれでもいいのかもしれません。しかし、こうしたサイクルの繰り返しは、消費活動を促進することはあっても、私たちの生産能力を上げることに貢献するわけではありません。

 「デザイン」・「データ」&「サブスクリプション」が紡ぐ未来社会は、私たちを「人間らしさ」からより遠ざけてしまうような気がしてならないのです。