人事の秘訣は歴史に学べ

2021年10月18日(月)

 レーブだ。

 

 14日に衆議院が解散した。秋風に紛れ、去っていく元大臣級の大物議員もいる。選挙後の顔ぶれはどうなっているだろうか?かたや行政機関や企業では来年度の人事に動いていることだろう。

 人は組織の浮沈を左右する。人事は重要だ。「失われた30年」を経て賃金も頭打ちとなる中、我が国でも成果主義が定着しつつある。ジョブ型雇用へのシフトも進められる。こうしてみると、「人事のあり方も変わるべき」と考えがちだが拙速に動いてはいけない。基本はそう変わるものではないからだ。人事担当者においては、歴史を参考にしてはどうだろう。

 

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 日本の人事の大もとは6~7世紀頃に導入された律令制にある。ここで作られた官位や官職が、その後の日本の人事のあり方を規定してきた。(遠山美都男ら「人事の日本史」朝日新書

 645年に起きた「大化の改新」は有名だが、その本質は蘇我氏の滅亡ではなく、豪族の世襲制度を廃し、「能力評価システム」を採用したことだ。背景には唐帝国の脅威があった。政府を構造改革することによって、対抗できる力をつけようとしたのだ。その後、官僚の勤務評定が規定され、組織の安定性がもたらされた。もちろん、昇進をめぐる諍いはあったが、これも安定したシステムがあったからこそ起きたと言える。

 人事は「安定性」を前提に考えることが合理的だ。長いスパンで組織の行く末を考えるのだ。人事担当者に求められるのは、人や組織を「見立てる力」だ。これは、現在と未来を見ることを言う。(曽和利光「『できる人事』と『ダメ人事』の習慣」明日香出版社)

 

 育成においては、スーパーエリート社員に頼った会社組織をつくることは避けなければならない。一人の突出したリーダーによって組織が担われるのは稀だ。むしろ、複数の指導者が協力し合って組織が運営されているほうがうまくいく。例えば、室町幕府の当初期は、温情主義者である足利尊氏が全国の武士を従わせる役を、合理主義者である弟の直義は組織運営役を分担することでうまく機能していた。これは組織全体だけでなく各部署でも当てはまる。個人の悪いところを直していくという発想ではなく、その長所を見極め、複数の人材を組み合わせてチームをつくるという感覚が重要だ。

 また、幹部候補生であっても若い頃に研鑽を積ませることが大事だ。江戸時代では、老中までのぼるような家格の大名であっても、「奏者番(そうじゃばん)」を務めるべきとされていた。奏者番とは、江戸時代に登城した諸大名を将軍に披露する職務だ。これにより仕事の厳しさを先輩から教えてもらったのだ。若い頃は雑用をこなし、失敗もしながら周囲の助けを借りて成長していくことが糧となる。 

 そもそも、組織内の全ての人の要求に応えることは不可能だ。人が行きたがらないポストに人材を回していくためにも、誰もが羨ましがるポストに特定の人物を置くことは慎むべきだ。その仕事を一番こなせる人を配置するのではなく、その仕事によって一番伸びそうな人を配置するのだ。こうした長期スパンの視点が組織を強くする。ことに、現代社会は変化が大きい。「キャリア・ドリフト」といって人生の偶然を上手に利用することだって大いにあり得る。人事担当には、今の仕事を意味づけて説明できる能力が求められるのだ。

 越前守護の座を主君から奪い取るという「下剋上」を果たした朝倉孝景は「朝倉孝景条々」と呼ばれる人事訓を残している。重要なポストほど派閥とは関係なく登用し、一人のスタープレーヤーより粒の揃った十人を育成すべきとされている。 

 

 次に採用である。人事の仕事の50%は採用とされているくらい重要だ。採用では、条件を厳しくすればするほど優秀な人材を採れる確率は低下する。採用に成功している会社の人事はたくさんの人と会っているのだ。

 鎌倉幕府は、朝廷中心の組織ではなく、新たに東国に作られた武家政権であった。源頼朝は「天下草創」とさえ呼んでいる。そして、組織の安定経営には、武士だけでなく総務・庶務を含む事務方を揃えることが急務であった。このため、頼朝は京都から多くの官人を呼び寄せた。中でも長期にわたって貢献した人物が大江広元であった。彼が提案した守護・地頭制度により、今でいう地方自治体の仕組みが整っていくことになる。広元は貴族出身の中央官僚であったが、広く人材を求めることの好例と言える。

 最後にマネジメントだ。人事が仕事として扱うものは非常にデリケートである。客観的事実よりも心理的事実が作用する。人は「差」を気にする。前述の頼朝が上手かったのは、挙兵前に家人を一人ずつ呼び寄せ、「ここだけの話だが、お前だけが頼りだ」と囁いたことだ。人事が相対するのは「人」だ。人にとっては「利」も大事だが「心」も大事だ。その「心」を理解するためにも、歴史を知っておくことは大きな一助となる

 

「デジタル都市」は永久に不滅です!?

2021年10月11日(月)

 トランだ。

 

 DX(デジタル・トランスフォーメーション)の究極の用途は何だろうか?俺は「都市」だと考えるぜ。8日に行われた岸田総理の所信表明演説では「デジタル田園都市国家構想」っていうものまで飛び出してきたぜ。インフラが十分でない地方の方が取り組みやすいってことなんだろうな。しかし、あえて言うぜ。「デジタル都市」こそが俺たちの生活を支えてくれるだろうって。

 そもそも都市の魅力は「情報」だ。情報なき都市は衰退する。約4000年前に作られたインドの古代都市モヘンジョダロは下水道が整備され、圧倒的な先進性を誇っていた。考えてもみてくれ。古代ローマを除けば、西洋で下水道が整備されたのは1858年のロンドンと意外に最近の話だ。しかし、モヘンジョダロは滅亡した。その理由は今でも謎だが、一説によると、一部の支配者層が文字を独占的に使用していたために、都市として十分に機能しなかったことが原因って言われている。

 一方で情報を回す都市は栄える。グーテンベルクが発明した活版印刷術によって、都市の人口が増加し、一人当たりのGDPも増加したことがデータで明らかにされている。情報が行き渡り、住民が賢くなると経済成長を後押しするってことさ。(葉村真樹「都市5.0」SE SHOEISHA)   

 

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 改めて現代に思いを馳せると、未来の都市像が浮かび上がってくる。それは、都市における「日常活動空間」と「居住空間」の出現だ。

 ここで言う「日常活動空間」は、アメリカのジャーナリスト、ジェイソン・ジェイコブズが提唱した「ミクストユース」の具現化だ。つまり、DXの環境が十分に整い、目的の異なる人や用途の混在が発展し、商業空間でもあるが仕事もできるし人と憩うこともできる、それでいて自宅のような落ち着いた時間が過ごせる空間のことだ。

 これまで都市は、中心部にある「職場」と、買い物や遊びの「非日常空間」、「職場」とは離れた「居住空間」から3つで成り立っていた。未来都市では、中心部が「日常」の空間と化す。そして、個人は「職場」から解放され、どこにいても仕事をすることができる。家族との団らんの場所だって「居住空間」に限られることは無いんだぜ。インターネットの社会では、情報をむりやり都市の中心部に集中させる必要なんて無いからだ。

 

 こうした「日常活動空間」は「居住空間」と情報面で一体化することによって、俺たちの生活を見事に支えてくれる。これこそ、「デジタル都市」の真骨頂だ

 まずは「安全」だ。街中のセンサーやカメラが俺たちの行動を守ってくれる。交通事故が起きないよう車の運転は制御される。全国で整備されている社会インフラ(道路約128万㎞、橋梁73万橋、トンネル1万本、河川管理施設3万施設、砂防堤等10万基、下水道管渠47万㎞)は老朽化が心配されているが、特殊なセンサーが実際の使用頻度などを感知してメンテナンスの優先度を知らせてくれる。犯罪が起きないよう監視カメラや追跡システムが抑止効果をもたらす。ドローンやロボットとの共働が効果的だ。

 高齢化社会では「健康支援」も重要だ。風呂やトイレを含めて、自宅のあちこちに張り巡らされたセンサーやカメラ、そして、ウェアラブル端末が一体となって、24時間365日、身体の状態をチェックしてくれる。その日の体調などに応じて、食事の管理、運動の推奨、快適な睡眠を支援してくれるぜ。こうしたデータは「日常活動空間」でも共有される。移動時でも不整脈が発生すれば救急搬送が発動される。そこまでいかなくても、状態に合わせて、その日の歩行ルートの紹介や、レストランや食品購入におけるメニュー選択のアドバイスが得られる(日経BP総合研究所「空間✕ヘルスケア2030」日経BP)。全てを合わせると膨大なデータ量になるが、研究開発が進められている量子コンピュータが実用化されれば、これらの実現にぐっと近づくだろう。

 

 どうだい。素敵な「デジタル都市」がイメージできるだろう。だが、課題もある。「居住空間」をどう形成するかが重要になってくる。人類は集団生活を営むことで、また、そのようなものとして発展してきた。人は寂しさを好まない。心理的セーフティネットとして、「居住空間」にコミュニティを形成しておかなくてはならない

 「居住空間」に、DXによるバーチャル環境を導入することは可能だ。誰もがアクセスでき、生活面で必要な情報を入手・交換できる「場」を作っておくと便利だろう。しかし、十分とは言えない。バーチャル環境を補完するため、また、デジタル社会に取り残される人がいることにも思いを致して、リアルなコミュニティ活動の場も用意しておこう

 「デジタル都市」は人の集住を要しない。情報ネットワークにより、人はより自由活発になる。都市の歴史に新たな1ページを加えることになるだろう。

 

あの大恐慌がよみがえる?ヒントは「ナラティブ」にあり!

2021年10月4日(月)

 コノミです。

 

 岸田政権が発足しました。みなさん、期待と不安が入り混じった気持ちで見守っていることでしょう。これらは、新型コロナウイルス感染症対策、そして、経済対策に寄せる思いです。

 緊急事態宣言等事態は解除になりましたが、世界を見ると収まる気がしません。ワクチン接種が進んで日常活動を取り戻している国もありますが、この間の公的資金の投入により、財政事情は厳しい局面を迎えています。

 そして、伸張著しい中国と、悩める大国アメリカという構図は世界に不均衡をもたらしつつあります。1929年のいわゆる大恐慌研究の第一人者キンドルバーガーによると、当時の大恐慌が深刻なものになった理由として、世界経済における「リーダー不在」を挙げています。(玉手義朗「大恐慌の勝者たち」日経BP

 世界は再び大恐慌を迎えることになるのでしょうか?今は順調に見える日本の株価も暴落するのでしょうか

 ヒントは「ナラティブ」にあります。「ナラティブ」とは、ある社会、時代などについての説明や正当化を行う記述のための物語や表象とされています(ロバート・J・シラー「ナラティブ経済学」東洋経済新報社)。つまりは、「噂」や「物語」です。

 「ナラティブ」の怖いところは、それこそ感染症のように一気に広がり、経済に大きな影響を与えることです。代表例として、日本で発生した昭和金融恐慌が挙げられます。1927年、大蔵大臣が「東京渡辺銀行が破綻した」と誤って発表したところ、預金を引き出そうと全国規模の取り付け騒ぎに発展し、銀行が連鎖倒産することとなったのです。そもそも大臣の発言は重いのですが、それだけでパニックになるとは思えません。伏線として、第一次世界大戦後の軍需バブルがはじけ、既に経済が混乱していた点が指摘できます。人々が抱いていた不安が「ナラティブ」となっていたところに「銀行破綻」という「ナラティブ」が加わり、共鳴を起こしたのでしょう。

 こうしたことは私たちも体験済みです。新型コロナウイルス感染症が拡大した当初に起こった「トイレットペーパー騒動」がそうです。マスクと同じ原料だから買いだめしておけというSNS上のデマが拡散し、店頭からマスクやトイレットペーパーが無くなったのです。パニック買いは小麦粉等にも波及しました。これも立派な「ナラティブ」です。

 

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 未知の病気である新型コロナウイルス感染症は、他にも様々な「ナラティブ」を生み出しました。典型例は「42万人死亡」です。2020年4月、西浦博北海道大教授(当時)が、人との接触「8割減」を強く要請し、外出自粛などの対策を何も行わなかった場合、約85万人が重篤な状態となり、半数の約42万人が死亡するとの試算を発表しました。同教授が「8割おじさん」と呼ばれたことも、かえって一般受けすることとなり、「ナラティブ」が持つ破壊力を一層強化しました。

 そして、この「ナラティブ」を政府が受け継ぎます。それが、緊急事態宣言や「8割自粛」要請です。これらが与えるメッセージによって、マスク警察など他者に対するバッシングまで生まれました。日頃の不満や不安が溜まっているために起きてしまうのです。(藤井聡木村盛世「ゼロコロナという病」産経セレクト)

 

 日本経済は危機にありますバブル崩壊後30年を経て、見通しは明るくないどころか、「日本化」という言葉に象徴されるように、少子高齢化、累積赤字が経済成長の重しとなっています。異次元緩和も出口を見失い、今後の舵取り次第では難破しかねません。非正規雇用者数が増え、若者の不安や不満も増しています。山田太郎参議院議員SNSで募集したアンケートによると、自殺の権利を求める声まであったそうです。(橘玲「無理ゲー社会」小学館新書)

 そうです。いつ日本に大恐慌が到来してもおかしくない状態なのです。そして、こうした場面にうってつけの「ナラティブ」が登場することを警戒しなくてはなりません。ありそうなのは、「東京オリ・パラが終わり、景気が後退する」、「『FIRE』で若者も投資に走ってバブルが膨らみ、いずれはじける」といったところでしょうか。そもそも人の脳は「物語」を楽しむものです。フェイクニュースであっても、脳がその情報をチェックし続けることは困難なため、本音では勘ぐっていても話を広めてしまうのです。

 対策は、一にも二にも国民の「不安」を解消することです。前回紹介したように、人の「心理」を学んで対応することです。その一環として、世の中に出回っている「ナラティブ」の追跡調査・分析を行い、内容が破滅的なものであれば、「反論ナラティブ」を展開することです。もちろんそれは、データに裏付けられ、かつ、「安心」を提供するものでなくてはなりません。大恐慌の正体は私たちの「不安」です。必要なのは自らを乗り越えることなのです。

 

 

「未来薬局」がもたらす医療界の下剋上!

2021年9月27日(月)

 ハルです。

 

 今月末に緊急事態宣言が解除される見込みが高まっています。と同時に、冬場の再拡大の可能性も指摘されています。できれば医療の手を借りず、健康でいたいと考える人も多いことでしょう。生活に身近な「未来薬局」の出現が切望されます

 

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 薬局は、「医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律」に定められた要件を満たしていると都道府県知事の開設許可を得た医薬品の販売店です。

 1974年より医薬分業が進められました。当初は医療機関内で薬をもらうことが当たり前でした。診察後、薬を手渡されるまで院内で待たされるのは苦痛でした。今や分業率は74%を超え、そのような医療機関は少なくなりました。診察が終わって外に出ると解放された気分になります。ところが、近くにあるいわゆる「門前薬局」に行って薬を処方してもらわなくてはなりません。薬をもらえる場所が数メートル~数十メートルだけ移動したに過ぎないのです。そして、薬局は処方箋がないと入れない施設であり、決して多様な商品で賑わっているわけではありません。「土地も建物ももったいない使い方をしているな」と思う人も多いことでしょう。医薬分業の意義が現在も問われ続けている理由の一つです。

 

 全国の薬局は2019年度末で60,171件とコンビニエンスストアの55,710件を上回っています。このうち70%を占める門前薬局の損益率は低下傾向にあります。2016年には13%程度でしたが、2018年度の診療報酬改定によって2.5%に落ち込みました。

 薬局調剤費の約25%を占める技術料1兆9000億円が費用対効果に見合っているかという問題もあります。調剤を行う薬剤師も飽和状態です。31万人の薬剤師のうち、薬局薬剤師が58%となっています(2018年)。2043年度には過剰になると予測されています。(藤田道男「ポストコロナ時代の薬局ニューノーマル」評言社MIL新書)

 薬剤師の役割も、訪れる患者の問題を解決するというより、医薬品という「モノ」を渡す「お店の人」に過ぎません。調剤業務が機械化されていく中、薬剤師の存在意義も問われているのです。(狭間研至「薬局マネジメント3.0」評言社)

 

 こうした中、政府は薬局の機能分化を進めています医療機関中心から日常生活を中心とする「地域包括ケア」に医療がその軸足を動かしつつある中、医療機関や他の薬局と連携しながら地域のハブ的存在となる「地域連携薬局」の仕組みが作られたのです。日本の服薬率は6~8割、飲み残しで無駄になっている薬剤費は年間約475億円とされています。多科受診による重複投薬も課題です。地域連携薬局において、適切な服薬管理を担うことが期待されています。 

 しかし、これだけでは不十分です。より踏み込んだ「改革」が必要です。鍵はドラッグストアにあります。ドラッグストアのイメージは「大衆薬」や「市販薬」の販売店です。政府は、医療用医薬品をこれら「OTC医薬品」にスイッチする方針を打ち出すとともに、医薬品を自分で選んで買う「セルフメディケーション」を進めています。

 ドラッグストアの強みは、日常生活に必要な多様な製品を取り揃えている点です。栄養機能食品も置いています。新型コロナウイルス感染症の拡大時も、感染予防グッズや外出自粛に伴う日用品等の需要増を受けて、順調に業績を伸ばしました。さらに、医薬品ニーズへの対応を強化するため、大手チェーンは調剤併設型事業所を増やしています。健康に関する総合力を前面に押し出しているのです。

 現在、ドラッグストアの店舗数は2020年度で2万店ですが、商圏を小刻みにすれば3万店舗にまで増える可能性があります。国民の生活習慣病アンチエイジングへの取組、美容や食への意識の高まりを見ると、これらに一元的に対応できる新たな「施設体系」が望まれます。それが、薬局の進化系、「未来薬局」なのです。

 模範となる事例として、栄養相談や理学療法士・介護療法士による運動療法を提供しているところもあります。健康測定ルーム、PCR検査センター、フィットネススタジオ、各種セラピー教室、介護相談事業所などを併設してもいいでしょう。デジタル技術の活用も期待されます。(松宮和成「医薬品業界のしくみとビジネスがしっかりわかる教科書」技術評論社

 規制緩和も必要です。薬剤師がその場で血液検査を行い、ウエアラブルデバイスから得られた相談者のデータと合わせて、薬物と食品の効果的な組合せをアドバイスしたり、健康相談を行ったりできると極めて有効です。

 新型コロナウイルス感染症は、思いのほか、自身の健康を真剣に考えさせてくれるきっかけとなりました。裁量を持った薬剤師が力を発揮できれば、医師を中心とする現在の医療を、本人中心の医療へと根本から変えることができるのです。

 

日本は世界の反面教師。必要なのは「日本化」のイメチェン!

2021年9月20日(月)

 フィナよ~。

 

 東京オリンピックパラリンピックが終わったわ。新型コロナウイルス感染症の拡大というハンデがあったけど、アスリートも大会関係者もよく頑張ったと思うの。でも、一方で思うの、二度と日本で開催なんて無いわよねって・・・。 

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KYODOTUUSHIN

 新型コロナウイルス感染症で見られた日本が抱える本質的な問題は、東京オリンピックパラリンピックでも見られたわ。こうした事態を見るにつけて、世界で揶揄的に使われている「日本化」という言葉を思い出すわ。

 「日本化」とは、経済の活力が無くなり、稚拙な対応で財政が悪化し、金融を緩和しても景気は浮揚せず、ゼロ近傍の金利が続くこと。銀行は利ザヤが圧迫されて体力を消耗し、金融危機の影がちらつくし、ゾンビ企業が生きながらえて、新たな成長の芽を出にくくするの。つまり、「失われた30年」の姿を言うのね。特に、巨額の財政赤字を抱え、にっちもさっちもいかなくなった状態を指すわ。日本を反面教師とする言葉なの。(太田康夫「日本化におびえる世界」日本経済新聞出版)

 そして、新型コロナウイルス感染症の拡大は、あっという間に欧米を「日本化」の状況に追い込んだわ。公的債務をGDP比で見ると、米国の2020年の予測は108%だったのが実際は131%に、2050年には246%に拡大するリスクもあるみたい。今の日本を超えちゃうわね。欧州のほうは財政協定により、GDP比6割以内という制限をかけているけれど、さしものドイツも70%台半ばになる見込みよ。そして、世界全体では98.7%と史上最も高い比率になっているの。

 新興国も例外じゃないわ。中国は日本の失敗を研究し、その轍を踏まないようにしてきたけれど、ここへきて設備、負債が過剰になり、デジタル化が進めば雇用も過剰になるおそれがあるわ。こうしてみると、「世界経済の日本化」が起きると言えそうね

 

 でも、基礎体力がある欧米にとっては、新型コロナウイルス感染症はまだ「外患」でしかないの。だから、各国の中央銀行が低金利量的緩和による資金供給を続けることによって株価を力強く押し上げることができたわ。ちょうどタイミング良く「グリーン・ニューディール」の波に乗ることもできたし。

 日本はそうはいかなかった。当初こそ、思い切った財政出動を行い、雇用調整金等によって経済環境の安定化を図ることができたけれど、ちょっと感染が落ち着いたと思ったら、たちまち「目先の経済対策」が優先されたわ。「Go To トラベル」が代表格ね。そうこうするうちに、財政均衡主義が本性を現し、酒類を提供する飲食店は金融機関を通じて圧力をかけられそうになったわ。飲食店やカラオケ店も見捨てられがち。そして、高齢化は高齢者優先の政治を生むわ。ようやく若者向けのワクチン接種センターが稼働したわね。これらも「日本化」の特徴と言えそう。

 オリンピックについても、そもそも日本が開催地として手を挙げる必要があったのかしら。1964年の東京オリンピックは戦後の復活を国内外にアピールできたし、国内インフラ整備に一役買った点は評価できるわ。でも、今回の意味は何なのかしら? 

 日本はもはや先進国ではないわ。賃金も物価も上がらない国なの。その結果、海外と比べるとモノやサービスの価格差が生じているわ。日本は「割安国」なの。こんな国は魅力的に映らないでしょうね。大阪の合宿地から姿を消したウガンダの重量挙げ選手が「日本で仕事したい」とメモを残したことを挙げて「やっぱり日本は羨ましがられる国なんだ」と勘違いしていると、過去の栄光からますます抜けられなくなるわ(中藤玲「安いニッポン」日経プレミアシリーズ)。東京都による招致の狙いも、都市博が中止となったため塩漬け状態になった臨海副都心の地価を、五輪会場とすることで上げようとしたみたい(吉見俊哉「東京復興ならず」中公新書)。開会式の演出を巡るドタバタ劇にしても、沈みゆく日本にあって残る利権を貪ろうとしているようにしか見えないわ。これも「日本化」の一端なのかしら。 

 

 総括すると、30年近く少子高齢化、所得の減少、財政悪化への取組みに失敗してきた日本の縮図が新型コロナウイルス感染症東京オリンピックパラリンピックで浮き彫りになったわ。残された道は、赤字を減らす厳格な債務管理ね。バラマキなんてもってのほかよ。そして、既得権益をものともせず構造改革を進めること。短期的には失業や経営破綻の増加という形で経済コストが発生するリスクを覚悟しなくてはならない。でも、そうしないと崩壊へのカウントダウンは止められない。自民党総裁選が始まったけど、目先のパフォーマンスに振り回されず、財政再建を強く掲げる政権運営を誓ってほしいわ。「日本化」とは「大逆転」を意味するというイメージチェンジを果たすのよ!

 

「共感(エンパシー)」に潜む「闇」。照らす方法はあるのか?

2021年9月13日(月)

 ソシエッタです。

 

 東京パラリンピックが終わりました。障害を持つ選手への「共感」を感じた大会でした。一例を挙げるとブライドマラソン、伴走者はペースを保って走りながら、ランナーに指示を出していました。心からすごいと感動しました。 

 「共感」にはいろいろありますが、「エンパシー」というのがあります。ライター・コラムニストのブレイディみかこ氏の近著『他者の靴を履く』(文藝春秋)で紹介されている、他者の感情や経験などを理解する能力です。いったん自分の靴(殻)を脱ぎ棄て、フラットな気持ちで他者の靴を履き、その着心地などを感じながら歩いてみることです。

 

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 新型コロナウイルス感染症の拡大は、人々の心に分断を生みました。差別的言動によって傷ついた方もいるでしょう。マスクを着用していない人に、「マスクしろよ!」と
攻撃する「マスク警察」も登場しました。こうした行為の背景に「エンパシー」の欠如があります。経済至上主義の社会では、数字による管理が行われるんだ、倫理や感情なんかで回ったりしていないんだと気づかされます。「エンパシー」は脇に追いやられます。そして、人は政権に従順になり、その決定に抗う人々こそが他者への思いやりのない邪悪な人に思え、攻撃の対象となるのです。

 毎日、新規感染者数の報道があり、夜の街で仲間たちとお酒を飲んでいる若者たちの映像が流されると、「こっちは我慢しているのに、何やってるの!」と怒りすら覚えるかもしれません。でも、忘れてはいけません。そうした人たちの中にも、「自分の命が一番大切」という気持ちが先に立って、マスクやトイレットペーパー、食材の買い占めに走った人もいたはずです。

 「エンパシー」と似た言葉に「利他主義」があります。これは、フランスのオーギュスト・コントが19世紀半ばに提唱したもので、経済学者のジャック・アタリ氏によると、他者に利することが、結果として自分に利する「合理主義」だそうです。(伊藤亜紗ら「『利他』とは何か」集英社新書

 マスクが無くなり、感染が広がることになれば、巡り巡って自分が困ることになりかねません。トイレットペーパーが無くなれば、他人はみなライバルという競争心が働いて、次の危機時にはよりパニック買いが進むことでしょう。感情に支配される社会は「安心」とは程遠いのです。

 

 加えて日本には、ムラ社会的な「空気を読め」という感覚があります。評論家の山本七平は、「空気による破滅」を予感していました。空気による支配が横行する社会におおいて、「科学的」という言葉が絶対化し、誤用・悪用されることを恐れたのです。(鈴木博毅「『超』入門 空気の研究」ダイヤモンド社

 新型コロナウイルス感染症の脅威に対し、ワクチン接種や治療法が導入されていない状況下ではソーシャル・ディスタンスなどの行動制限が有効とされました。そして、行動制限が効果を発揮すると、いつの間にか「絶対化」され、「当たり前」の状態を生み出します。「エンパシー」の居場所はとうにありません。そして、この依存状態が、ワクチン対策など根本対策の遅れにつながった可能性があります。

 

 「エンパシー」を取り戻さなくてはなりません。しかし、「エンパシー」には負の面がありますアメリカの心理学者ポール・ブルーム氏によると、感情的に他者に入り込むと状況判断が理性的にできなくなるらしいです。

 6月、友人の浮気相談を受けていた女性が、彼女の交際相手である男性と話し合ううちに口論となって彼を包丁で刺し、ベランダまで追い詰めたという事件が発生しました。やり過ぎと感じた方も多いでしょう。共感力が極めて高い人は、周囲の人々の感情や考えを察知する能力が高く、他者の痛みのために自分を犠牲にすることもあります。こうした人は、他者に目が行きがちになり、自分自身の健康管理ができなくなることもあります。また、遠くにいる人のことなど、その存在が意識されていない問題にはアプローチできません。環境破壊、感染症、先進国・途上国間の格差、人種や宗教をめぐる分断といった地球規模の問題には不向きなのです。

 さらに、人気取り主義の政治では「エンパシー」が最大限に利用されます。トランプ前大統領は、「エンパシー」を集めるのがうまく、その結果、社会の分断を炙り出してしまいました。

 

 こうした「エンパシー」の負の面も知った上で「寛容」の心を持つことが大切です。「寛容」ですから、「不寛容」に対しても不寛容になってはいけません。秩序を乱そうとする人は、実はシステム・エラーの犠牲になっている可能性があります。酒場で盛り上がる若者も内心では苦しんでいて、不安や不満をため込んでいるのではないでしょうか。彼らの声に耳を傾けるべきです。分断を埋めるには、誰もが悩みや苦しみを持っているはずだという「空気」を作ることが大切です。

 

大惨事を防ぐための「砂」のトリセツ!

2021年9月6日(月)

 エンヴィです。

 

 菅総理大臣が退陣を表明しました。総裁選や総選挙のカードをちらつかせながらのあっという間の崩落でした。振り返れば、コロナ禍の厳しい局面で、そもそも短命に終わるとは予想されていました。「砂上の楼閣」だったのかもしれません。

 6月24日に発生したアメリカ・フロリダ州のマンション崩落は、「砂」そのものが問題だった可能性があります。死者数は98名に上りました。事故の原因は分かっていません。手抜き工事や地盤沈下の可能性が指摘されていますが、コンクリートにひびが入るなどして建物が老朽化していた可能性もあります。

 コンクリートには非常に細かい穴があります。ここから水が浸み込んでひびが入ったり、大気中の塩分によって内部の鉄筋が腐食したりするリスクがあります。これから数十年のうちに、全世界で粗雑なコンクリート1000億トンを交換する必要があるとされています。怖いのはコンクリートの素となる「砂」が世の中から無くなることです。そうすると、質の低い砂が出回るようになり、将来の大惨事につながるおそれがあります

 

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 空気と水を別にすれば、「砂」は人類が最も利用している天然資源です。消費量は年間約500億トンと推定されており、この20年間で5倍に増えました。その7割が建設用コンクリートに混ぜる骨材として使われています。アスファルトやガラスにも使われています。大量消費の象徴として、経済成長に伴う中国やアジア諸国における建築ラッシュ、828mの高さを誇る「ブルジュ・ハリファ・タワー」をはじめとするドバイの人工空間が挙げられます。東京でもオリンピック関連施設やタワーマンションの建設が続きました。

 コンクリートだけではありません。人類は1985年以降、1万3566平方キロメートルの人工地を世界中の沿岸に追加しています。その大部分が「砂」です。シンガポールは独立以来、砂を大量に輸入して国土面積を25%拡張しました。中国は南沙諸島西沙諸島を砂で埋めて新たな領土を造成しています。日本でも東京湾臨海部や関西国際空港等が挙げられます。

 

 今や、砂の市場規模は世界で約700億ドル。国際貿易は毎年5.5%の勢いで成長しています。日本はピーク時の3分の1とはいえ、2019年には125万トンの砂を輸入しています。輸入先はオーストラリアが75%です。和歌山県白浜の白砂もオーストラリア産です。気になるのは、取引の総額が急上昇していることです。世界中で砂を取り合うと、国家経済に打撃を与える可能性があります。 

 砂なんて砂漠にたくさんあるじゃないかと思うかもしれません。ところが、砂漠の砂は細かすぎる上、角が無いため砂同士が絡み合うことができず、コンクリートの骨材には向かないのです。シェールオイルの採掘に使用される「フラックサンド」の粒は、これとも違っていて、非常に大きな圧力に耐え、かつ、すき間に入るだけの小ささと丸みが求められます。一口に「砂」といっても一様ではないのです。

(ヴィンス・バイザー「砂と人類」草思社

 

 このように、砂は重要な資源なのですが、合法的に取引されているのは150億トンに過ぎず、闇市場では年間1000億ドルが動いているとされています。しかも、砂を違法に採掘・売買する国は70か国に上り、「砂マフィア」も暗躍しています。(石弘之「砂戦争」角川新書)

 国際的な取り決めが必要です。特に採掘は規制されるべきです。自然環境破壊の側面があるからです。例えば、世界中で砂浜が無くなりつつあります。波によって浸食される上、大規模な沿岸開発や河川ダムの建設によって、海や川の上流から砂が補給されなくなっているからです。砂浜は、嵐や海面上昇から人々の命や財産を守る防波堤ともなります。このため、砂浜を復活させる「養浜プロジェクト」が進められています。日本でも、昨年7月から千葉の九十九里浜で海岸幅40メートルを維持していくための事業が始まりました。30年間に及ぶ壮大なプロジェクトです。(Wedge July 2021)

 

 「砂」の適正使用は待ったなしです。2002年に建設リサイクル法が施行されました。これは、解体、新増築、修理等に伴って発生するコンクリート等の再資源化を義務づけたものです。同法によって、コンクリート廃材の資源化率は65%から99.3%に上昇しました。

 今後はさらに一歩踏み込んで、砂の新規使用を減らすべきです。新築に使用する材料に占める廃材の割合を増やすのです。このため、既存のインフラに使用されている砂に関するビッグデータを構築します。この時、築年数と劣化状況のデータも集めます。そして、これらの砂を再利用する際には、それぞれの質に応じて適切な場面で使用するようマッチングを行うのです。こうした緻密な努力が、「堅固な楼閣」を提供することにつながるのです。