衣料品廃棄事情 ~大量消費に潜む罠~

2019年5月20日(月)

 エンヴィです。

 

 ようやく暖かくなってきました(日中はとても暑くなる日もあります。)。冬物衣料をクリーニングに出して片づけます。中には全くといっていいほど使わなかったものもあります。メルカリで売れたりするのかな、と考えたりします。

 

 実は、そんな考え方には「危険」が潜んでいます。

 

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 購入後にやりとりできる衣料品は限られています。そもそも購入もされずに廃棄される衣料品の数をご存知でしょうか?

 2017年には約38億点が供給されて約28億点が消費されました。つまり差し引き10億点の新品衣料品が人の袖を通ることのないままに捨てられているのです。割合にすると4点に1点です。(仲村和代ら「大量廃棄社会」光文社新書

 

 びっくりするとともに、「もったいないー!」の一言です。日本の美点として英語にもなった「MOTTAINAI」ですが、いかがでしょうか?

 これには業界の事情、そしてぼくたち消費者の潜在意識があります。

 

 90年代からユニクロをはじめとするファストファッションが隆盛となりました。安くて質のよい商品は消費者にとってありがたいです。また、試着などに店員が張り付くことがなく、気楽に商品を選べる店舗システムが背中を押したと思います。ぼくもよくお世話になっています。

 これに対し、ブランド商品は大量生産によって原価を抑えて対抗することとしました。こうして衣料品がこの25年間で倍以上に増えました。しかし、消費量はそんなに増えませんでした。

 

 「安さ」というのは資源という観点からは「諸刃の剣」です。消費者としては捨てやすくなります。流行でなくなったデザイン、買うときはいいと思ったけど実際はあまり使わなかったもの・・・・・「断捨離」でサヨナラです。

 さらに、古着の取引市場もぐんと身近になりました。フリーマーケットや、インターネットの世界でフリマを創出したメルカリです。これらの登場によって、「古くなったり気に入らなくなったりしたら売ればいいや」と安易な購入を助長することになりました。ゴミ扱いするわけではないので罪悪感も無いです。

 

 ここに大きな「罠(わな)」があると思います。

 資本主義経済は、大量生産、大量消費、大量廃棄が容認されている社会です。そして、ぼくたちはそのことをあまりにも当たり前と受け止めています。このため、このサイクルに乗らない行動や活動は「変わり者」扱いされます。

 「サイクルに乗っかってることがなぜいけないの?これで世の中が成り立っているんでしょう。生活できている人がいるんでしょう。」・・・・ぼくたちの感覚はこんなところではないでしょうか。このため、世の中が本当に「成り立っていると言えるのか」、「いつまでもこのままでやっていけるのか」、といったことを深く考えることなく毎日を過ごしています。

 

 話を衣料品に戻しますと、原価を抑えるため人件費の安い海外で拠点が作られ、生産されています。国内でも、外国人労働者の低賃金・長時間労働によって支えられている実態があります。

 まさに、グローバルレベルの「収奪」によって一時の繁栄を謳歌する世界が身近なところで繰り広げられているのです。(ダロン・アセモグルら「国家はなぜ衰退するのか」早川書房

 

 また、大量廃棄については「捨てるのをやめればいいじゃないか」と指摘する声もありそうです。ここには業界の事情があります。廃棄することによって節税できるのです。在庫にしておくと「資産」として計上されるだけです。捨てることが企業にとっても得なのです。

 

 衣料品の製造から廃棄までの工程は複雑です。このため、工程のあちらこちらで無駄が生じている可能性があります

 解決策として、廃棄から逆算して生産・流通といった工程をコントロールするシステムを作ることが考えられます。例えば、衣料品の一つ一つを認識できる電子タグを織り込むことができれば、その流通や廃棄の状態を網羅することができます。そして、廃棄量に応じて「廃棄税」を販売者や生産者から徴収するのです。こうすれば、業界全体で「ちょっと待てよ」と立ち止って考えることになります。

 

 積み上がった必要なコストは価格に反映させます。こうして全体的に衣料品の価格が上がれば購入にも慎重になります。消費者の意識も変わります。安易に捨てたりリサイクルに出したりすることも少なくなるでしょう。

 「3R」のうちリサイクル、リユースはもちろん重要ですが、最も大事なのはリデュースです。そもそもゴミを生み出さない努力が大事です。

 

 社会的にも、物質的な豊かさだけを求めるライフスタイルが指向されなくなりつつあります。こだわって私有することが必ずしもイケてるわけではないのです。(三浦展「毎日同じ服を着るのがおしゃれな時代」光文社新書

 さらに、ちょっと小難しいことを言うと、情報インフラを基本とする社会ではコストがより抑えられることとなります。このため、これまでのような、モノの大量生産等を前提とする「成長」を続けていくのか、それともいっそのこと舵を切って「持続可能性」を追求していくのか、今、選択を迫られています。(ポール・メイソン「ポストキャピタリズム東洋経済新報社

 ぼくたち「人」もコストです。果たして大量生産等の一部としてあり続けるのでしょうか?そのことに堪えられるのでしょうか?

 

 意識の高い人たちの中には、買い物のレジ袋を不要とする人もいます。話題となっているプラスチックごみ問題を考えてくれているのです。こうした人たちを中心に消費活動が変わっていくことが考えられます。

 「来シーズンも大切に使おう」、「作ってくれた人たちの思いを大事にしよう」、衣替えがこうした想像力を取り戻す機会になればと思います。