国際保健が教えてくれる、国内コロナ対応の落し穴!

2022年4月4日(月)

 ハルです。

 

 オミクロン株BA.2によるリバウンドの兆候が見られます。毎度ながら、新型コロナ感染症は、生命をとるのか経済をとるのかという二択を私たちに突き付けてきます。実は、こうしたジレンマは新しい話ではありません。国際保健のこれまでの歩みを知ることで、国内対策のあるべき論を知ることができます

 

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 オミクロン株が当初、南アフリカを中心に拡大した際、日本で講じられたのは「水際対策」、すなわち検疫の強化でした。検疫(quarantine)の語源はベネツィアの方言で「40日間」を表す「クワランテーナ」から来ています。ペストが大流行した15世紀、ベネツィア共和国は当方から入港する交易船を強制的に40日間留め置く措置を取りました。(秋道智彌ら「疫病と海」西日本出版社

 しかし、19世紀に国際通商・交通が発展するにつれて、検疫隔離によって生じる遅延や損失が問題視されました。経済を優先する声が高まったのです。加えて、医学的な見地からも、検疫隔離の効果と必要性について疑問の声が挙がりました。年末年始の水際対策について言えば、陽性者が出た飛行機の乗客全員を宿泊療養施設で監視するという国際標準を上回る措置によって、国内流行を3週間程度遅らせることができたと評価されています。一方で、結局は国内流行を防ぐことはできませんでした。検疫隔離には限界があるのです。

 世界保健機関(WHO)の国際保健規則では、国際交通・貿易に対し、不必要に干渉しないこと、人権を考慮すべきであることが掲げられています。科学的根拠のない過剰な防疫は認められないのです。そうは言っても「検疫隔離論」は今も根強くあります。ちなみに、前身の規則である1951年国際衛生規則では、アジア的感染症からヨーロッパを守るという方針が採用されていました。また、国際連盟時代は、ロックフェラー財団の資金提供により、シンガポールに「極東事務所」が置かれ、感染症の監視がなされていました。ペストなどがアジアから入ってくることを恐れたのです。差別的な取扱いと言えますが、日本国内に照らすと、海外からの流入が多い羽田・成田・関空のほか、沖縄、北海道は、常に監視体制を強化しておく必要があると言えます。

 

 「水際対策」の次は感染の「封じ込め」です。陽性者から濃厚接触者を割り出し、監視するのです。1960年代当初の国際的な天然痘根絶プログラムでは、人口の80%を目標に、できるだけ多くの人々にワクチンを接種するという方針が採られていましたが、ワクチンの不足や接種を拒絶する人々がいるなど壁にぶつかります。このような中、WHOは、人口密度の高い地域では、80%の高いワクチン接種率を達成しても流行が起こる可能性が残ることを論証し、監視と封じ込め戦略の優位性を主張したのです。

 しかし、現実的にこの戦略はマンパワーが必要となります。国内で年末年始に人流抑制がなされなかったことは、感染力が強いオミクロン株にとっては水を得た魚でした。急激な感染拡大により保健所業務は逼迫し、濃厚接触者を突き止めることはできなくなりました。監視と封じ込めが通用するのは、国内感染のごく初期の段階です。そして、緊急事態宣言などの強い制限措置も、感染拡大当初期が決め手となります。感染力や病原性が分からない未知の感染症ならなおさらです。国際的監視体制には、世界中の専門家から情報を集める「ProMED」、世界中の公式・非公式のオープン情報を自動収集する「GPHIN」などの仕組みがあります。日本でも複数のチャネルからなる重層的な情報集約システムを構築し、迅速に取組みにつなげるようにしなくてはなりません

(笹沢教一「コロナとWHO」集英社新書

 

 最後に検査やワクチンといった技術的な手段です。国際保健の世界では長らく論争の的となっています。1955年、WHO総会はDDT散布を主軸とするマラリア根絶プログラムを採択しましたが、挫折に終わりました。住民の協力が得られなかったこと、耐性を持つ蚊が出現したこと等が原因です。こうした技術的手段は費用対効果が優れていることから、早く問題解決を図りたい政治にとっては大変魅力的に見えますが、落とし穴もあります。新型コロナワクチン3回目接種について、嫌がる人が増えています。4回目ともなるとどうでしょう?

 また、こうした技術的手段で覆い隠されてしまう、人々の健康のあり方を今一度思い起こすべきです。WHOはプライマリ・ヘルス・ケアを重視しています。医療だけで解決できない広範な取組になります。しかし、新型コロナが露わにした重症化リスクは、高齢のほか、肥満、基礎疾患といった脆弱性です。そして、これらの課題は、どこかで貧困などの社会的な歪みとつながっているのです。経済成長の陰で置き去りにされている健康への「配慮」が重要なのです。