公衆衛生のパラドクス~みんなを守りたいけど・・・

2023年10月23日(月)

 ハルです。

 

 この夏・秋は各地でお祭りや花火大会が4年ぶりに開催されています。本当に良かったです。新型コロナの幕引きです。9月には新興感染症に備えた政府組織が設置され、コロナ医療体制も解除されつつあります。

 そのずいぶん前に、公衆衛生がそっと姿を消しました。まだ得体の知れなかったコロナの初期、公衆衛生は私たちの命を守ってくれました。その恩恵はすっかり忘れられていることでしょう。公衆衛生の悲しい宿命を振り返ってみましょう。

 

 

 公衆衛生は、地域やコミュニティを病気から守り、住民の健康を維持する公共的な取組です。具体的には調査集計、健康教育、行動制限があり、コロナでも実行されました。主役を果たしたのは保健所です。みなさんのところにも保健所から連絡があったかもしれません。保健師さんの声を聴いて気持ちが安らいだことでしょう。

 でも、こうした取組は必ずしも歓迎されるわけではありません。調査はプライバシーに踏み込みます。行動制限は個人の自由を奪います。濃厚接触者と判定され「10日間自宅にいて下さい」と言われ、途方に暮れた人もいることでしょう。理不尽に思えるかもしれませんが、行動制限は感染を広げないための最善策なのです。

 

 公衆衛生のパラドクスとして、効果を上げれば上げるほど、住民が反発し、集団を守れなくなる状況が生じます。それが顕著に表れたのがアメリカです。1918年のスペイン風邪ではマスク着用が呼びかけられました。着用しない人から罰金をとった自治体もありました。しかし、アメリカは自由の国です。当時のマスクの質が悪かったこともあり、住民の不満が爆発し、複数の自治体でマスク禁止令が制定される事態となりました。

 これらの自治体は、新型コロナでも禁止令を廃止にせず、感染拡大時に「一時停止」としました。日本でのパニックを思うと考えられないです。ちょうど行われた大統領選挙では、トランプ氏がマスク着用を個人に任せるとした結果、トランプ氏の支持が大きい地域はマスク着用率が低く、バイデン氏の支持が大きい地域は高いという分断が生じました。(平体由美「病が分断するアメリカ」ちくま新書

 予防接種にも同じことが言えます。集団に多大な恩恵があっても、個人への恩恵は少ないです。みんながワクチンを嫌がれば、社会防衛は頓挫します(児玉聡「予防の倫理学ミネルヴァ書房)。感染症に限らず、肥満対策などの健康増進政策も「行き過ぎたパターナリズム」と批判されることがあります。公衆衛生はかくも難しいのです(玉手慎太郎「公衆衛生の倫理学」筑摩選書)。

 

 公衆衛生は縁の下の力持ちです。その存在が目立つような事態は本当は好ましくないのです。やがて、コロナのことも公衆衛生のことも忘れられるでしょう。でも、ほんのちょっとでいいですから、公衆衛生分野で働く人達に対する感謝の気持ちを持っていて下さいね。